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【内田浩司のまくり語り】取材する側、される側 27、28歳のころ前検日の囲み取材で

 テニスの大坂なおみ選手が一石を投じた試合後のインタビュー拒否問題は、最終的にはいい落しどころが見つかりそうな風向きになっているようだ。

 オレはテニスにほとんど関心はないが、全米オープンを初優勝したとき、負けたセリーナ選手に配慮した謙虚なインタビューを覚えている。大坂なおみ選手はきっとすごく繊細な人だから、このようなことになったんだろうかなと思った。

 27、28歳だったかな。今年こそ競輪祭の決勝に乗ってやると気合パンパンで参加した前検日の囲み取材でのことだ。普段からよくしゃべっていた九州のK記者がヘラヘラ笑いながらこう言った。

 「コージは準優でいつも負けとるから今年もダメやろ~」確かにそれは図星だった。

 普通なら「冗談キツイすね」で終わったろうが、その時はとても冗談とはとれず「謝れ! なんで前検日にそんなこと言われないかんのか?」とオレはK記者に噛みついた。

 売り言葉に買い言葉で口論になったが、あとで「コージ悪かったな」とでも言ってくれたら「オレも言い過ぎました」でこの話は終わってたはずだった。

 その年の競輪祭はK記者の予言どおり準決勝で落車棄権だった。オレはそれ以来、二度とK記者とは口を利かなかった。

 当時は選手の本音や他社とは違うコメントを言わせようと、わざとイラつく質問をしてくる癖のある記者が多かった。

 今はいかにも公営競技の記者だなという濃い風貌の人はいなくなったな。

 ガンで闘病していたK記者が他界したときオレはひとり通夜に出席し、お別れを言って帰った。

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 青森ナイター最終日のS級決勝12R。鷲田幸司の父、善一さん(33期引退)はかつて北陸を牽引(けんいん)したトップレーサー。バイタリティがあって福井輪太郎のペンネームで競輪の新聞を発行し、オレは愛読者だった。

 鷲田兄弟を見ると今もお元気にされているのかと思い出してしまう。(元競輪選手)

 ■内田浩司(うちだ・こうじ)1962年8月26日生まれ。福岡県出身。83年4月に51期生としてデビューし、S級上位で活躍。2015年10月29日に引退。通算435勝、優勝34回(記念Vは92年門司記念など6回)。FI先行・吉岡稔真(としまさ=福岡・65期)元選手の兄弟子で連携は多数。実直な性格と厳しい指導から“鬼軍曹”として恐れられていた。夕刊フジ競輪面にコラム『当てちゃる券』を執筆。『まくり語り』を連載中。競輪祭では特別コラム『小倉競輪祭 なう&リメンバー』を執筆。