【マンガ探偵局がゆく】30歳の若さで亡くなった漫画家・河島光広、病床で描いた「ビリーパック」

コート姿がキマッてる河島光広の『ビリーパック』

★ミッション(21)コートがかっこいい探偵マンガは?

 そろそろ春が予感できる季節。とはいえ、三寒四温で、しばらくコートを手放せそうにない。というわけで、今回はコートに関係ある調査依頼だ。

 「子供の頃、ハンチングにトレンチコート姿のかっこいい探偵が活躍するマンガが大好きでした。読んだのは理髪店にあった雑誌。散髪してもらいながら読んでいたら、お店のおじさんが『この人は夏でもコートなんだね』と言っていたのを覚えています。マンガ目当てでほとんど毎月決まった日に理髪店に行っていました。タイトルは忘れましたが、調べてもらえますか?」

 

 依頼人の年齢がわからないので、特定が難しいが、毎月ほとんど決まった日に散髪に行った、というところから判断して、掲載されていたのは月刊誌だろう。

 1950年代半ばから60年代半ばまで、少年向け月刊誌には必ずと言っていいほど、私立探偵や事件記者たちが活躍するマンガが載っていた。

 巨大ロボットSFマンガの嚆矢(こうし)とされる横山光輝の『鉄人28号』も当初は「長編探偵漫画」だったのである。コート姿の探偵といえば桑田次郎の『まぼろし探偵』の進くんや『月光仮面』の祝十郎探偵にもコート姿があるが、「夏もコート」というほどではない。

 そこで行きあたったのが、『少年画報』に54年10月号から連載された河島光広の『ビリーパック』だ。

 太平洋戦争中にアメリカ人の父が憲兵に連行されて死刑に、連行をとめようとした日本人の母も射殺され、孤児になったビリー少年。戦後、アメリカに帰国し、そこで私立探偵の勉強したのちに、名探偵ビリーパックとして日本に凱旋。さまざまな事件を鮮やかに解決する、というもの。

 ビリーのトレードマークになっていたのがハンチングとトレンチコートだった。スマートな絵と都会的なセンスが少年たちを虜にし、その才能はライバルの手塚治虫や福井英一も認めるようになる。手塚は「名古屋に鬼才あり」と称賛し、福井は「いずれ児童漫画界をになう人」とまで言った。

 河島は名古屋で31年に生まれ、デビュー後も名古屋を離れなかった。彼は当時「死病」とまで言われていた結核に蝕まれ、自宅のベッドで仰臥(ぎょうが)しながらマンガを描いていたのだ。動けない自分の代わりに、ビリーに獅子奮迅の活躍をさせていたのかもしれない。

 61年3月、河島は7年にわたる闘病の末、30歳の若さで亡くなっている。

 のちに手塚は「この作品のあと、どんな傑作を世に出しただろうか」と偲んだ。

 ■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。2014年、日本漫画家協会参与に。