【BOOK】「読者には申し訳ないけど、今度こそ本当に最後です」最終章を大きく改稿 小説家・小林信彦さん『決定版 日本の喜劇人』

『決定版 日本の喜劇人』小林信彦著(新潮社)

 小林信彦さんの代表作『日本の喜劇人』の決定版が出版された。1972年に晶文社より上梓されてから49年。これまでに新潮文庫版、箱入り2巻本など装いを新たにするごとに加筆・修正されて、今回で5度目。「読者にはたびたび申し訳ないけど、今度こそ本当に最後です」という「決定版」だ。(文・井上志津/写真・川口良介)

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 --最初の出版の経緯を教えてください

 「翻訳推理小説雑誌の編集長をしていたとき、エッセイストの古波蔵保好さんと喜劇の思い出話をしたんです。戦前、チャップリンの『街の灯』『モダンタイムス』の2本立てを日比谷映画で父と見たこと、戦後は丸の内のピカデリー劇場で『チャップリンの黄金狂時代』に笑い転げたこと、1947年に2カ月ぶっ通しのロッパ(古川緑波)とエノケン(榎本健一)の『弥次喜多道中膝栗毛』を有楽座で見たときは、笑って笑って、死ぬかと思ったこと……。それで古波蔵さんに『ご覧になった喜劇人について書いてみませんか』と提案したら、『それは君が書くしかないよ』と言われたのがきっかけです」

 --刊行の翌年に芸術選奨新人賞を受賞し、その後、3回、加筆・修正してきました

 「読者にはたびたび申し訳ないですが、今回が年齢的にも本当に最後です。今回は従来の『日本の喜劇人』と、植木等・藤山寛美・伊東四朗を論じた新潮文庫『喜劇人に花束を』を1冊にしました」

 --改稿したのは主にどこですか

 「当時は現役だった方たちが今は亡くなっていますから、全面的に手を入れたほか、『日本の喜劇人』の最終章を大きく改稿し、現在までカバーするよう加筆しました。これまで登場していなかった志村けんさんにも触れました」

 --現在気になっている人としては大泉洋さんがあげられています

 「新しい人ということで入れました。ただ、大泉さんはまだちょっと分からないところがありますね。役者や芸人の評価は、どのタイミングでするかが難しいです。ここに書いていないからといって、他の人を無視しているわけでもないんですよ。例えば、とんねるずについて活字で評価したのはぼくが最初だったと思いますが、彼らがやっていた年に1度の苗場でのライヴを見たことがないから、書いていないんです」

 --心に残っている人は誰でしょう

 「私が心を許したのは植木等と渥美清。特に渥美さんはお互い若い時代、顔を合わせれば『晩飯どこで食べる?』なんて話をしていました。渥美さんは『男はつらいよ』の寅さんの印象で、世間的にはのんきな人みたいに見られがちだけど、すごく苦労していますしね、そうしたことも書いておきたかった。森繋久彌さんのスケールの大きさや、由利徹さんのおかしさも思い出されます。由利さんはね、みんな好きになるんですよ。会った中で1番笑っちゃう人でしたね」

 --本書に登場する人は、小林さんが実際に会ったり、子供の頃から舞台や映画で見たりしてきた人ばかりです

 「ぼくが幸せだったのは、この本に登場するような優れた喜劇人たちと知り合いになれたことです。会っていないのは花菱アチャコと伴淳三郎ぐらいですね。それにしても今回びっくりしたのは、生きている人は伊東四朗と萩本欽一ぐらいじゃない? みんな亡くなっている。おまえが生きているのが悪いと言われりゃしょうがないけど…」

 --小林さんが喜劇人にこだわってきたのはなぜでしょう

 「下町の商人の家に生まれたからですね。父親が和菓子屋の9代目で、私も弟も継がなかったので、店はなくなったのです。笑いが大事な家で、ラジオで落語を聞いていても、今ここでオチがついたとか、終わり方がいいとか悪いとか言っていました。山の手の中学校に進学したら、全く文化が違うと感じました。だから、『君が書くしかないよ』と言われたとき、自分が長年実際に観てきたものを生かそうと考えたんですね」

 --これから先、やりたいことは

 「もうそんなに長く生きていないですよ、本当に。ギブアップですね。4年前に脳梗塞を患ったので、もうここ(取材場所)に来るのがやっと。だからこのテーマはもうここまでです。ただ、東京の下町の話は、書きたくなるんですよ。どうしてもね」

 ■『決定版 日本の喜劇人』(新潮社・3960円・税込み)

 東京・東日本橋で生まれ、1940年からロッパ、エノケンを生で見て育った著者が、森繋久彌、植木等、渥美清、由利徹、藤山寛美、萩本欽一など喜劇人について論じた『日本の喜劇人』は72年に上梓されて以来、〈笑い〉をめぐるバイブル的書物としてさまざまなアーティストやクリエイター、ポップカルチャー好きな読者たちに影響を与えてきた。本書は米寿を迎えた著者が全体的に改稿。著者独特のクールで愛情に満ちた眼差しに心を揺さぶられる「決定版」。

 ■小林信彦(こばやし・のぶひこ) 1932年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。翻訳推理小説雑誌編集長を務めた後、テレビ番組のコントなどを執筆しつつ、作家に。73年『日本の喜劇人』で芸術選奨文部大臣新人賞、2006年『うらなり』で第54回菊池寛賞受賞。『袋小路の休日』『決壊』『日本橋バビロン』『つなわたり』などの小説のほか、『世界の喜劇人』『おかしな男 渥美清』など映画や喜劇人についての著書多数。最新エッセーは『とりあえず、本音を申せば』。