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【マンガ探偵局がゆく】30歳の若さで亡くなった漫画家・河島光広、病床で描いた「ビリーパック」 (2/2ページ)

 太平洋戦争中にアメリカ人の父が憲兵に連行されて死刑に、連行をとめようとした日本人の母も射殺され、孤児になったビリー少年。戦後、アメリカに帰国し、そこで私立探偵の勉強したのちに、名探偵ビリーパックとして日本に凱旋。さまざまな事件を鮮やかに解決する、というもの。

 ビリーのトレードマークになっていたのがハンチングとトレンチコートだった。スマートな絵と都会的なセンスが少年たちを虜にし、その才能はライバルの手塚治虫や福井英一も認めるようになる。手塚は「名古屋に鬼才あり」と称賛し、福井は「いずれ児童漫画界をになう人」とまで言った。

 河島は名古屋で31年に生まれ、デビュー後も名古屋を離れなかった。彼は当時「死病」とまで言われていた結核に蝕まれ、自宅のベッドで仰臥(ぎょうが)しながらマンガを描いていたのだ。動けない自分の代わりに、ビリーに獅子奮迅の活躍をさせていたのかもしれない。

 61年3月、河島は7年にわたる闘病の末、30歳の若さで亡くなっている。

 のちに手塚は「この作品のあと、どんな傑作を世に出しただろうか」と偲んだ。

 ■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。2014年、日本漫画家協会参与に。

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