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【ぴいぷる】“霧”のアーティスト・中谷芙二子さん「霧の悪いイメージ変えたかった」 (1/3ページ)

 ■悪いイメージの払拭

 「霧の彫刻」で国際的に知られる。きっかけは大阪万博(1970年)のペプシ館。参加していた米国のグループ「E.A.T.(芸術と技術の実験)」のプロジェクトとして、パビリオンを人工霧ですっぽり包んだ。

 こだわったのは、化学的に発生させる霧ではなく、純粋な水、飲める水を使った霧であること。高度成長まっしぐらの時代。人の視界を遮る霧は、交通や運搬を妨げる厄介なものとされ、スモッグなど大気汚染も顕在化しつつあった。

 「霧の悪いイメージを変えたかった。人が自然や環境とやりとりできる霧がほしかった」と振り返る。

 とはいえ、純粋な水霧を大量発生させる技術は当時、探しても見つからなかった。専門家によると、自然の霧と同じサイズの微粒子に水を砕き、噴射する技術が見つかれば可能との結論だったが、日本で開発に手を挙げるメーカーは皆無。あきらめかけた矢先、協力を快諾してくれたのが、カリフォルニアの小さな研究所だった。万博で初めて実現した「霧の彫刻」は、この会社が開発してくれた微粒子ノズルのおかげ。そのノズルは50年後の今も現役だ。

 ■自然受け止め応える

 以降、環境彫刻やインスタレーション、パフォーマンス、公園設計など、世界で80を超える霧の作品を発表してきた。

 「霧はその場の環境を読み取り、風に寄り添い、大気と響き合って刻一刻と姿を変えます。環境が彫ってくれる霧の千変万化こそが、霧の彫刻」と語る。最後は自然に委ねるのが霧の彫刻の作法だが、霧のパフォーマンスを最大限に引き出す工夫がある。

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