記事詳細

【マンガ探偵局がゆく】赤塚不二夫を長年支えたブレーン 「パロディー・マンガの元祖」長谷邦夫さん (1/2ページ)

★ミッション(70)「パロディーの元祖」長谷邦夫さん

 今回は当探偵局長とも親しかったマンガ家の訃報に関する依頼だ。

 「マンガ家を目指す大学生です。去年の12月に、新聞で長谷邦夫さんというマンガ家が亡くなった、というニュースをみました。ぼくはこの人のことは知らなかったのですけど、興味を持ちました。どんな人だったのか、どんなマンガを書いたのか、など詳しく教えてもらえますか」(21歳・マン研所属大学生)

 長谷さんとは私もお付き合いがあったので、訃報には驚いた。6年前に脳出血で倒れるまでは年を感じさせないほど元気で、東京に出てきたときは、深夜までお酒を飲むくらいだった。復帰にも意欲を見せていたのに。

 長谷邦夫は1937年生まれ。マンガ家としてのキャリアは古く、56年から貸本マンガ出版の曙出版で戦記マンガなどを発表。このころ赤塚不二夫や石ノ森章太郎が住んでいた豊島区椎名町(現・東長崎)のトキワ荘にも出入り。64年に、トキワ荘メンバーだった鈴木伸一、つのだじろう、藤子・F・不二雄、藤子不二雄(A)、石ノ森、赤塚らがつくったアニメ会社「スタジオ・ゼロ」にも参加。アニメの赤字をメンバーのマンガ原稿料で補填するためつくった「雑誌部門」のチーフになった。65年に赤塚不二夫が、独立してフジオ・プロをつくったときには創設メンバーになり、長年、ブレーン役として赤塚を支えた。

関連ニュース