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【黒田尚嗣 世界遺産旅行講座】平清盛が残した不朽の信仰芸術 日本三景・安芸の宮島シンボル「厳島神社」 (1/2ページ)

 瀬戸内ブランドを確立させ、地方創生と世界に比肩できる観光地経営を目指す「せとうちDMO(Destination Management Organization)」は、瀬戸内の魅力を国内外に向けて発信していますが、この事業を最初に行ったのは平清盛ではないでしょうか。

 中国(宋)との交易による経済発展を構想していた清盛は、瀬戸内の安全を第一と考え、瀬戸内の海賊を退治して制海権を握った後、海上安全を守護する「厳島大神」を熱く信仰し、瀬戸内航海の無事を祈念しつつ日宋貿易を行ったと考えられます。

 「厳島大神」を祀(まつ)る厳島神社は、日本三景のひとつ「安芸の宮島」のシンボルでもあり、潮の干満によって趣をかえるその幻想的な姿は外国人にも人気があります。厳島の名前は「斎(いつ)く」という心身を清めて神に仕えるという言葉に由来し、島全体が聖地として太古より崇(あが)められてきました。

 そして厳島の神を崇めるために社殿を一新した平清盛ですが、寝殿造りを基本とした社殿を海上に建てたのは清盛独自のユニークな発想で、他に類を見ません。

 社殿は「玉御池(たまのみいけ)」と呼ばれる入り江の中に建てられており、陸からの「回廊」は通路としてだけでなく、僧の読経や舞楽の演奏の場、またあるときは観覧席としても利用されましたが、この回廊の床板には隙間があり、高潮の際には隙間から水が抜けて建物が浸水しない工夫がなされています。

 しかし、台風や高潮で本殿が床上浸水することもたびたびあったのですが、ご神体を祀る玉殿(ぎょくでん)は本殿内の檀上にあって、回廊から1メートル50センチばかり高いために、歴史上、一度も浸水していません。

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