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【zak女の雄叫び】《zak女の雄叫び お題は「贈る言葉」》自分に厳しく、他人に優しく (1/2ページ)

 中学生の頃、国語の教師に言われた言葉がある。「自分に厳しく、他人に優しく」。きっかけは忘れたが、級友との小さなもめ事をこの教師に仲介された直後、学期末の通知表に書かれていた。前後に関連することが何も書かれておらず、この一文だけだった。事情を知らない保護者が見ても意味がわからなかっただろう。実際、通知表を見た両親から成績については注意されたが、この一文は素通りだった。

 記者は卒業するまでこの教師が苦手だった。普段積極的に生徒と関わる様子はなく、授業も教科書を決まり通りに淡々と進めるだけだった。決して無口ではないが、校内には生徒指導に熱心な教師が他に何人もいたから、淡泊な印象だった。だから、注意されても反発するだけだった。だが、唐突に通知表に書かれた一文はなぜかその後もずっと鮮明に記憶に残った。

 あれから十数年の歳月が流れた。国民の暮らしをさまざまな分野や切り口で記事にする新聞記者になり、人の親になり、老いる両親を持ち、自分も加齢を実感する年齢になって、ようやくあの一文が持つ重みが理解できるようになった。家族も友人も親子も職場も、大抵の人間関係は自分が周囲に優しくできるかが円満の鍵を握る。この言葉を実践することがいかに難しいことか。理解できても日々の行動が伴っていない自分の未熟を痛感する。

 思えば、記者は今、この言葉を中学生だった私に贈った教師の年齢と同年代だ。10代半ばで親ほども年の離れた教師相手に「偉そうなセンコー(先生を侮蔑する俗称)だな」と、公然と目上の人に失礼極まりない態度をとる私に何を言っても無意味だと思っただろう。しかし、この教師はその私に通知表のコメント欄でただ一言だけ「他人に優しく」と諭した。