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【BOOK】戦後廃れた「詠む文化」…日本の象徴を甦らせたい 田中章義さん『辞世のうた』 (1/2ページ)

★『辞世のうた』ワニブックスPLUS新書(880円+税)

 死を強く意識したとき、五七五七七のわずか三十一(みそひと)文字に思いを込めて刻まれる辞世のうた。著者は、先人たちが未来に生きる者たちに語り残した究極のタイムカプセルだという。われわれはそれらをどう受け止めればいいだろうか。(文・冨安京子 写真・寺河内美奈)

 

 --辞世のうた、定義はありますか

 「文字通り、人生最期を迎えたとき詠んだうたを残したものです。また前々から周りに、これを自分の辞世のうたとせよと伝えてあるものも含まれます。伊達政宗は亡くなるその日につくった短歌を辞世としましたし、良寛は準備していました。準備している場合は、複数のうたが発見されることもあります。文字数も31文字の短歌が多いものの、五七五の俳句があったり漢詩風の言葉があったりと定まっていません。短歌の場合は季語などを考慮することなく詠むのも特徴でしょうか。本では、それを包括的に取り扱おうと、タイトルは『うた』とひらがなをあてました」

 --伊達政宗の辞世のうた(短歌)が特に胸に響く、と

 「《曇りなき 心の月を先だてて 浮き世の闇を 照らしてぞゆく》

 政宗がこの歌を詠んだのは1636(寛永13)年5月24日。息子に家督を譲り病床に臥せっていました。その3日前には将軍家光の見舞いもあって、死期を悟った瞬間だと思われます。もし空に月がなければ、己自身の心の月を掲げてこの世を照らしてゆこう、という意味ですね。自分のことより藩のこと、民のことを優先した政宗の魂の声を聞くようで、彼らしい歌となりました。後世に、また世界に、こんな日本人がいたと語り継ぎたくなる一人です」

 --和歌は伊達家の伝統文化で、政宗は武将歌人とも呼ばれていたそうですね

 「政宗は当時、著名な歌人だった近衛信尹(のぶただ)親子からも和歌を学びましたし、時の水尾(みずのお=清和)天皇も一目おく才能をみせました。自ら古今和歌集など多くの歌書や、源氏物語、枕草子などを熱心に書写して腕を磨く勉学熱心な人だったんです」

 「それだけではありません。あるとき政宗は新古今和歌集の選者としても知られる藤原家隆から百首もの和歌が書かれた巻物をもらい受けます。でもそれは実は今川家の家宝でありながら質流れとなった貴重な品。そこで政宗は5両の金を添えて今川家に歌書を戻しました。政宗は武勇の士として名高いですが、文学の造詣が深く、文化に対する並々ならぬ美意識と敬意の持ち主でもあったんです」

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