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【パリッコの「酒飲み12カ月」】発熱の絶望。そして、晴れて飲むチューハイのうまさ

「やばい、おれ熱あるわ……38.3℃……」

 そう聞かされた妻も、相当不安そうな表情になっていた。

 2020年4月18日土曜日。僕の住む練馬区は朝から、大雨洪水警報が発令されるほどの土砂降りだった。が、どうしても自宅ではなく仕事場に行かないとできない急ぎの原稿があり、朝から出かけていって仕事をしていた。約3時間かけて原稿を書きあげ、昼の12時過ぎに歩いて自宅に戻る。びしょ濡れの服から部屋着に着がえ、ソファでひと休みしていると、どうも体がだるい。ゾクゾクと寒気もするような気がする。これはまずいぞと自室に移って熱を計ると、38度を超えていた。

 もちろん普段なら「風邪かな?」と、ひとまず寝床で様子を見るところだが、昨今のこの状況。「コロナかも……?」という不安で一気に心臓が押しつぶされそうになった。日常生活においてじゅうぶん注意はしていて、最近は洗いすぎている手の甲の荒れに悩んでいたほどだ。発熱にともなう寒気とだるさ意外に、例えば咳や息苦しさなどの症状はない。コロナにかかると味覚や嗅覚が一時的に衰えるという話も聞いていて、あわてて妻が「これ、食べてみれば!?」と、子供が昼に手をつけず残したらしいミニハンバーグを「そうか!」と食べてみる。「味は!?」「……うまい」。はたから見ると滑稽極まりないやりとりも、本人たちにとっては大真面目だ。

 その後、多少は気持ちも落ち着いて、とにかく今は自室にこもって安静にし、様子を見るしかないという、至極真っ当な判断にいたる。

 布団に潜ってすぐに眠れるわけもなく、ついつい「コロナ 症状」などのワードで検索をかけ、ネットニュースやSNSを見てしまう。少しでも安心したいからなんだけど、症状はさまざまで、当初は微熱が続く程度だったのに突然重症化した例なども多いと知り、よけいに不安が募る。何度もスマホを置いては目をつむり、眠れずにまたスマホを見る、ということをくりかえしていたが、いつのまにか3時間くらい眠っていたようだ。

 あと数日で3歳になる娘は、ふだん僕が家で仕事をしていると、突然部屋に突入してきて「おしごとしたい~!」などと言いながらキーボードをやたらに叩いてくる、なんてことは日常茶飯事だが、この日は深刻な空気を理解してくれていたのか、居間で静かに妻と遊んでいるようだ。ふたりでクッキーを焼いていたそうで、妻が麦茶の支給のついでに焼きたてを「食べられれば」と差し入れてくれた。あまり食べる機会のない熱々のクッキーは、焼きたてパンのような香ばしい香りがし、素朴な甘味でしみじみうまい。何より、まだ食べ物をうまいと思えることに、少しだけ安心した。

 眠れないとついスマホを見てしまうので、部屋にたくさんある読みかけの本を枕元に持ってきて、読んだり、うとうとしたりをくりかえす。夕方、こま切れの睡眠から目覚めると、体のだるさや寒気がだいぶ薄れている気がする。そもそも僕は滅多に風邪をひかないほうだったんだけど、ここ数年、締め切りの関係で無茶なスケジュールが続いたり、飲み取材が重なりすぎたりすると、やはり免疫力が落ちるのか、熱を出すことも増えてきた。だけどそんな場合でも、半日も寝ていればすっかり熱が下がってしまう。その無駄な体の丈夫さにm過信のようなものがあった。これで平熱に戻っていればいつものことだ。そんな気持ちで再び熱を計ると、まだ38℃……。再びの絶望感が自分を襲った。

 食欲もまったくないわけではなかったので、夕食に妻が作ってくれたうどんを食べた。すりおろしショウガがたっぷり添えられているのがありがたく、ここぞとばかりに入れまくったら汗が出てきたので、着替えて再び寝床に。

 そこから朝まで、うとうとしては目を覚まし、スマホを見ては不安になるのくりかえし。基本引きこもり生活をしているとはいえ、必要最低限の買い物などには出ているわけだし、自分が媒介となってウィルスを広めてしまっていたらどうしよう。何より、家族に移してしまったなんてことがあれば悔やんでも悔やみきれない。悶々とした夜を過ごして翌朝。神に祈るような気持ちで計った体温は、すっかり平熱に戻っていた。

 自身のコロナの疑いについて保健所に相談する目安は、37.5℃の発熱が4日以上続いた場合だという。その後も念のため1時間おきに2度ほど体温を測ってみたけれど、やはり平熱。何より、久しぶりにゆっくり寝て、しかも昨夜は酒を飲んでいないこともあって、ここ最近なかったほどに体調がいい。万が一という可能性がなくはないのかもしれないけれど、とりあえずは一安心だろう。

 午後2時ごろ、娘が昼寝に入ったのを機に、次の締め切り原稿を書くのにどうしても「餃子の皮」が必要で、それを買いにスーパーへ行った。昨日とはうってかわって爽やかな陽気で、まるで自分の気分がそのまま反映されているかのようだ。あえて少しだけ遠回りをして石神井公園のなかを通り、生命力に圧倒されそうになる新緑の重なりを見上げる。周囲に人がいないことを確認し、マスクを外してゆっくり深呼吸する。青々とした香りが身体を満たしてゆく。そうだ、僕はこの季節がいちばん好きなんだよな。まさか自由に外出もできない初夏なんてものが、これからやってくるとは……。

 家に帰り、まだ居間で寝ている子供を起こさないよう、静かに冷蔵庫を開ける。妻が常備菜に作ったきんぴらゴボウがある、お、魚肉ソーセージも発見。うん、じゅうぶんじゅうぶん。

 僕は部屋に戻って、スーパーでついでに買ってきた、タカラ焼酎ハイボールのシークワーサー味を開けた。「久々の酒だ……」と神妙な気分になりながら、ゆっくりとひと口飲みこむ。昨日からさんざん飲んでいた水や麦茶とは違う、この、何か特別な力が宿ったような液体の味わい。それが少しずつ全身に染み渡ってゆく。やっぱりうますぎるな、酒。そしてやっぱり、酒が好きすぎるな、自分。

 まぁ、久々といったって、たかが1日ぶりなんだけど。

 それにしても、今回はただの風邪っぽかったとはいえ、それで能天気に「あ~良かった」では終われないのが現状だ。あの発熱時の不安が4日以上も積み重なっていくことや、他にも症状が出てしまうことを想像すると恐ろしすぎるし、今回のことでそれがいっそうリアルに感じられるようになった気がする。

 日常生活や仕事、そして酒は相変わらず楽しみつつも、さらなる用心や、自分にできることを考えていかないといけないな、と、あらためて思った。

■パリッコ 酒場ライター。著書に『酒場っ子』『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』。「晩酌ほろ酔いクッキング」(漫画ゴラク)「今日は早退します!」(東京ウォーカー)他、連載も多数。TV東京「音流~ONRYU~ 酒場サーキット」出演中。