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地上にも屋上にも公園 与力、同心がいた八丁堀

 江戸の昔、隅田川と京橋川をつなぐ掘割と両岸の土地を「八丁堀(はっちょうぼり)」と称した。町奉行の配下で働く与力、同心の組屋敷があり、彼らの代名詞ともなっていることは時代劇などでおなじみ。海口からの水路の長さが8丁(約870メートル)あったのが名前の起こりだともいう。JR八丁堀駅(東京都中央区)を起点に、かつての水の町を歩いた。

 駅の南に「八丁堀(桜川)跡」という説明板が立っていた。八丁堀は明治に入って「桜川」と改称され、昭和30年代半ば以降に埋め立てられたと書いてある。その一部が「桜川公園」として整備された。細長い敷地の中央を並木道が通り、西側の新大橋通り沿いには白と黒の石を組み合わせたモニュメントがどっしりと構える。

 桜川公園の東に、下水ポンプ所の屋上を利用した「桜川屋上公園」が造られている。階段を上ってみると、手前に芝生広場が広がり、その先には池を巡る緑の小道やゲートボール場があった。奥まで行けば、目の前が亀島川の流れだ。

 川沿いの鉄砲洲通りを南へ下がると、鉄砲洲稲荷神社が見える。鉄砲洲(現在の町名では湊、明石町)は江戸時代の海の玄関で、神社は船乗りたちの信仰を集めた。

 神社の南が鉄砲洲児童公園。昔の地図には「鉄砲洲公園」の名で載っている。関東大震災後に小学校とセットで建設された「復興小公園」の一つだったようだ。遊具やじゃぶじゃぶ池などがある子ども向けの区域はカラフルだが、その反対側へ回ると、雰囲気のあるレトロな噴水が静かに霧のような水を噴き上げていた。

 【メモ】桜川公園と桜川屋上公園の間の道には「居留地中央通り」という愛称がある。南の方へ向かうと、明治の明石町に設けられていた外国人居留地跡に通じる。

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