記事詳細

【大崎裕史 麺喰いにつき】いま蘇る“日本初の店”「浅草來々軒」 新横浜の「ラ博」にオープン (1/2ページ)

 「日本初のラーメン店」説が覆った日。

 これまで1910(明治43)年にオープンした浅草の「來々軒」が「日本初のラーメン店」とされてきた。しかし、先日の新横浜ラーメン博物館(以下、ラ博)の発表ではそうではなく、「日本初のラーメンブームを作ったお店」という紹介だった。いろいろな資料や文献を調べ直した結果、そうなったと。

 その「淺草來々軒」が今月14日、百余年の時を超えてラ博に蘇ったのだ。今回は、ラ博が調査した証言や史実を元に再現。断片的なものや不明な点は当時の裏付けのある資料や食事情、時代背景から推測をし、末裔(まつえい)の承認を受けたもので再現した。

 スープは国産の豚、鶏、野菜に昭和初期頃から加えられた煮干も使用。弱火でじっくり炊き上げた清湯スープ。麺に使用する小麦は、明治まで遡(さかのぼ)り、当時の遺伝子を持つ後継品種「さとのそら」を使用。創業当時の「青竹打ち」と昭和10年以降の「機械製麺」の2種類から麺を選択できる。

 メンマは、台湾産の乾燥メンマを1週間かけて水で戻し、味付け。焼豚は、味をなじませてから、直火の吊るし焼きにした焼き豚。どちらも手間暇をかけた昔ながらの製法で再現している。

 こんなことを実現・運営できるのは「支那そばや」(戸塚)以外にない、と創業者・尾崎貫一の玄孫、高橋雄作さんが「支那そばや」に依頼。現「支那そばや」代表・佐野しおりさん(ラーメンの鬼・佐野実さんの奥さん)は「最終的には、もし佐野(創業者 佐野実)が生きていたら“このプロジェクトに命を懸けて受けていた”だろうと思うし、私も使命だと思い、お引き受けすることにしました」と語っている。

 つまり、ラ博、「來々軒」創業者の孫及び玄孫、そして「支那そばや」の3社で取り組むプロジェクトということになる。素晴らしい。壮大な話で、感動的で、歴史的な開店である。

関連ニュース