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【黒田尚嗣 世界遺産旅行講座】日本の製糸技術支えた陰の主役「富岡乙女」 明治日本の世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」 (1/2ページ)

 私は30代から40代前半にかけて、父の経営する繊維会社を手伝っていた際、人の皮膚に優しいシルク(絹)について研究していました。シルクは植物であるクワ(桑)の葉を食べるカイコ(蚕)の繭から作られたタンパク質の繊維であるため、植物繊維の吸放湿性と動物繊維の保温性を備えた他の繊維の追随を許さない最高の天然衣料素材です。よって、シルク(絹)は古代より、ドレスや着物などフォーマルウエアの分野を中心に、最高の衣料素材として世界中の人々を魅了し、愛用されてきました。

 カイコの繭を製糸し、引き出した繭糸を数本そろえて繰糸の状態にした絹糸を生糸と呼びますが、この生糸は開国直後の日本において主要な輸出品となりました。この生糸の輸出が拡大した理由は、当時、ヨーロッパにおける生糸の主要生産地であったフランスで、蚕の病気が大流行し、ヨーロッパの養蚕業が壊滅的な打撃を被っていたからです。

 このような時代背景からフランス人、ポール・ブリュナの指導のもと、西洋の技術を取り入れた官営模範器械製糸場として設立された生糸工場が富岡製糸場です。模範工場の考え方としては、1つ目は洋式の製糸技術を導入すること、2つ目は外国人を指導者とすること、3つ目は全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り、器械製糸の指導者とすることでした。

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