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【BOOK】ある日ポロッと涙が…父に言えなかった「さようなら」 養老孟司、小堀鴎一郎共著『死を受け入れること』 (1/3ページ)

 これまでに3000体もの死体を観察してきた解剖学者と、400人以上の命を看取ってきた元外科医の訪問診療医が、死をテーマに語り合った。共に80歳代前半で、東京大学医学部の同窓だ。両者にとって初の対談集『死を受け入れること』の刊行を振り返って、養老孟司さんに話を聞いた。 文・たからしげる(写真提供・養老孟司氏)

 

 --死について、真剣に考えた最初は

 「ずっと解剖をやっていましたので、死というよりも死体というものに関して、ずいぶん考えさせられました。死体を引き取るというのもなかなか難しい点もあります。人が亡くなるということはどういうことなのか仕事上、考えざるを得なくなります。解剖学は、生きている人が死んで残った、つまり死体が研究の対象になるわけですが」

 --自身も父上を4歳のころに亡くされた

 「昭和17年でした。夜中に起こされて、大人たちが取り囲んでいる父のベッドのわきに連れていかれました。お父さんにさよならを言いなさい、といわれましたが、言葉がつっかえて何も出てきません。すると、父が私の顔を見て、にっこり笑って、その直後ばっと喀血して…。それが臨終でした」

 --その後、「さよなら」というあいさつが嫌いになったと

 「中学高校のころは、町で知り合いに会ってもあいさつができなくて、よく母に怒られました。父の臨終の様子が、何の脈絡もなく映画の1シーンのように出てくるんです。で、中年になってから、ある日地下鉄に乗っていて、あいさつが嫌いだったのは、あのとき父にしっかりさよならが言えなかったからなんだと気がつきました。その瞬間、いま父は本当に死んでしまったんだと知って、思わず涙が流れました」

 「それまでは、さよならを言ってないのですから、父の生はまだ終わってはいないわけですから、がんばるしかなかった。子供としてできることは、それしかなかった。それが分かってからは、ちゃんとあいさつができるようになりました。フロイトが『抑圧』と呼んだ自我の防御機制の典型ですね」

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