記事詳細

【マンガ探偵局がゆく】大阪で活躍社領系明のその後? ペンネームは八代光司「ペーパークラフト作家へ」 (1/2ページ)

 久しぶりに貸本マンガについての調査依頼だ。

 「この連載によく出てくる貸本マンガという言葉は、団塊の世代の小生にとって実に懐かしい響きです。小学校の頃、決まったお小遣いをもらえなかったので、お駄賃などの臨時収入があると、硬貨を握り締めて貸本屋に走ったものです。目をつけていたマンガが借り出されていると、ショックだったのを覚えています。当時の貸本はチャンバラマンガが全盛で、社領系明さんというマンガ家の本がたくさん並んでいました。たしか東京の月刊誌にも描いていたと思います。いつの間にかお名前を見なくなりましたが、その後どうされたのでしょうか?」(自営業・73歳)

 昭和30年代前半まで全国の街角に見ることができた貸本屋。最盛期には全国で約3万軒あったとも言われている。雑誌や小説も貸し出していたが、メインだったのはマンガ。それも大手出版社ではなく、貸本専門の零細な出版社がつくるマンガ本だった。東京では上野、大阪では松屋町や曽根崎にこれらを扱う書籍問屋が何軒もあった。

 依頼人が探している社領系明は大阪を中心に活躍した貸本マンガ家だ。

 1928年に神戸市で生まれた社領は、手塚治虫と同い年。戦争中、淡路島に疎開し漁網などをつくる仕事に就いたが、戦後になってマンガ家を目指すため神戸に戻った。

関連ニュース