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【マンガ探偵局がゆく】主婦から突然デビュー! 故・花村えい子が語ったシンデレラストーリー

 いよいよ年の瀬。今年はマンガ界に訃報が相次いだ1年だった。5月には「浮浪雲」のジョージ秋山。7月には「エイトマン」の桑田二郎。10月には「きまぐれオレンジロード」のまつもと泉。11月には「釣りキチ三平」の矢口高雄と「黒い秘密兵器」の一峰大二。12月には「霧の中の少女」の花村えい子--今回は、1年以上前に届いていた花村えい子に関する調査依頼を取り上げる。

 「フランス在住の友人から、日本の少女マンガ家・花村えい子さんの作品がフランス人に人気、というメールが届きました。花村さんと言えば、私も少女時代に大好きだったマンガ家さんです。友人は『花村ファンのフランスの知人から花村さんの経歴を聞かれたのだけど、参考になるものはないか』というのです。なにかおすすめはありますか」(70歳・兼業主婦)

 12月7日、91歳で亡くなった花村えい子は、埼玉県川越市の出身。デビュー作は、1959年に大阪の貸本専門版元・金龍出版社の少女マンガ短編集『虹』別冊に発表した短編「紫の妖精」だった。

 関東出身の花村が大阪でデビューしたのは、夫の大阪転勤で住むことになったアパートの1階が偶然、貸本屋だったことが発端。店主でもあった時代劇マンガ家の藤原利彦の仕事場を見学していたとき「あんたも描いてみなはれ」と誘われ見よう見まねで描いたのが「紫の妖精」だった。結婚前の花村は、女子美術大学で絵画や演劇を勉強したことはあったが、マンガに関しては描くのはもちろん、読んだこともなかったという。

 藤原がこの原稿を金龍出版社の編集長・長岡比呂志に見せたところ、すぐに掲載が決まった。その後も、長岡から頼まれるままに作品を描くうち、『虹』の執筆者だった楳図かずおや谷悠紀子たちとも親しくなった。さらに、東京の貸本出版社からも依頼が舞い込み、夫の東京転勤後は講談社や小学館での仕事が始まる。晩年にはフランスで評価され、フランス国民美術協会(SNBA)の正会員に…まさにマンガ界のシンデレラストーリーである。

 花村はこれらを2013年に大阪で行われた大阪府、大阪府立大学、関西大学共催の連続講座「新なにわ塾・再び大阪がまんが大国に甦る日」の中で詳しく語っている。花村を含む講座の全内容は「新なにわ塾叢書」の1冊としてまとめられており、依頼人にはこの本をおすすめしたい。 

 ■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。

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