記事詳細

【黒田尚嗣 世界遺産旅行講座】世界経済に影響与えた日本の銀生産の歴史 島根県「石見銀山」と「銀の馬車道」 (1/2ページ)

 資源の少ない日本ですが、17世紀初頭の日本は、銀の産出国として世界産出量のおよそ3分の1から4分の1を生産していたと言われています。

 その銀の生産拡大を可能にしたのは、16世紀に朝鮮から伝えられた精錬技術で、「灰吹き法」という、銀鉱石をいったん鉛に溶け込ませてから銀を抽出する効率的な生産方法でした。石見銀山ではこの技術を取り入れて開発が進みましたが、健康被害は深刻だったようで、作業員は鉛中毒や水銀中毒を発症し、30歳まで生きられた鉱夫は、尾頭付きの鯛と赤飯で「長寿」の祝いをしたと言われています。

 しかし、この島根県の石見銀山は、戦国時代の後期から江戸時代の前期にかけて最盛期を迎え、日本最大の銀山となり、銀を採掘していた坑道跡の遺跡と龍源寺間歩(まぶ)につながる「大森町の文化的景観」は世界遺産に登録されました。間歩とは鉱山の堀り口のことで、龍源寺間歩の坑道は江戸時代に開発され、壁面には当時のノミ跡が残っています。

 石見銀山は銀の枯渇とともに閉山しましたが、その遺跡は「銀鉱山跡と鉱山町」「石見銀山街道」「港と港町」に分けられ、「歩く世界遺産」としても知られています。

関連ニュース