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【新書のきゅうしょ】広島で原爆の被害と闘い続ける人々の姿を描く 大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」(岩波新書、1965年) (1/2ページ)

 米軍が原子爆弾を投下した地を、1963年から数年に渡って訪ねた作家の報告が「ヒロシマ・ノート」。いま話題の投稿サイト「note」と同じように、当時活況を呈した雑誌「世界」に掲載されたエッセイをまとめたものだ。

 私は同書が著された60年代に少年時代を過ごした。母親からは、B-29が襲来するたびに幼い妹たちの手をひいて防空壕に逃げ込んだなど、太平洋戦争の体験を繰り返し聞かされたもの。そして、小田急百貨店新館建設途中の新宿駅西口や、渋谷駅東口バスターミナル前、上野の西郷さん銅像下階段では、義手義足の傷痍軍人がハーモニカを吹く姿を普通に見かけた。58年生まれの私に、戦争は遠い過去の話ではなく、日常の隣にあった。

 著者は本書で、広島で原爆の被害と闘い続ける人々の姿を描く。例えば、45年8月6日の1週間前に同地に赴任した原爆病院長、重藤文夫は、電車を待つ行列の最後尾で被爆した。病院前広場には何千人もの死体が積み上げられて庭で焼かれたという。彼は、やはり負傷した医師と看護婦たちを指揮して瀕死の人々の治療をする中、原爆と白血病との関連を疑う。辛抱強く統計値を観察し続け、その結びつきに確固とした思いを持つのは被爆の日から7年目だったという。

 64年の報告では、10代の母親の急性骨髄性白血病での死亡を伝える。彼女は生まれたばかりの赤ん坊の年齢で被爆する。18年後に自分の子を産んだ直後、白血病の症状を発して亡くなった。「その新しい赤ん坊には、いまいかなる異常もない、もし希望という言葉をもちいるなら、それが唯一の希望だ」と大江は描く。

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