記事詳細

【BOOK】庶民の人生の辛い部分に寄り添ってきた「浪花節」 浪曲師・玉川奈々福さん『浪花節で生きてみる!』 (2/3ページ)

 --今、浪曲ブームです

 「私が三味線教室に通い出した頃は若手が誰もいないという状態。今のように浅草の木馬亭(浪曲の定席)にたくさんお客がいらっしゃるようになり、浪曲師や曲師さんにお弟子さんが入り、若い人たちがこんなに増えるなんて夢にも思いませんでした。玉川太福、東家一太郎が入ってきたあたりから状況が少しずつ変わってきましたね」

 --ターニングポイントがいくつも

 「三味線教室に入って、名人すぎる玉川美代子師匠の音色を聴いてしまったのが浪曲と向き合う最初です。その数カ月後に父が病気で亡くなり、疲れ切っていたとき、無性に三味線が弾きたくなったのも不思議です。浪曲師になってからも出版社の仕事との二足の草鞋(わらじ)でしたが、浪曲もフル回転で体とココロが引き裂かれそうだった際、三味線を弾くことさえ大反対の母が『このままでは死んでしまう。会社を辞めて』と。母の言葉もありますが、でも、後に浪曲の師匠となる玉川福太郎との出会いが一番のターニングポイント。引っ張られるように弟子になって三味線を弾き、『唸ってみろ』といわれて浪曲師になったのですから」

関連ニュース