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【東京舞台さんぽ】火消しと力士が入り乱れ 「め組のけんか」の芝

 芝大神宮(東京都港区)がまだ「芝神明」と呼ばれていた頃、江戸の町火消し「め組」と力士の一団同士が境内で乱闘を演じた。話は事実を超えて膨らみ、「め組のけんか」の名でも知られる歌舞伎「神明恵和合取組」になった。神社の周りの所々に、戦いの面影が顔をのぞかせている。

 鳥居の先にある石段を上ると、こま犬の台座に「め組」と大きく書かれているのが目に入った。境内には、歌舞伎の外題を勘亭流で記した石柱も立っている。大門通りへ出ると、錦絵入りで「め組のけんか」を紹介する説明板があった。商店街の名前は今も「芝神明商店街」だ。

 芝神明は、め組の持ち場所だった。両者の遺恨は品川宿での出来事が発端だが、神明境内で興行を行っていた芝居小屋でも小競り合いが起こり、ついに死を覚悟の衝突に発展した-と歌舞伎の筋は進んでいく。

 三幕目に、め組の頭・辰五郎が決戦の場に赴く直前、酒に酔ったふりで水を飲んだ後、真意を知らぬ息子と妻にも湯飲みを回して、それとなく水杯を交わす場面がある。その時辰五郎は「日本橋からくらべりゃア芝の土地は場末だが、水道の水に変わりはねえ」と言う。

 芝の水道といえば…と連想が働き、次に足を向けたのは、今使われている芝給水所の施設上部に造られた芝給水所公園。大門通りを西へ歩き、途中、広度院の表門と練り塀に沿って歩を進め、増上寺の北側を抜けて東京タワーの足元を通過。坂道を上り続けて公園に着いた。一角に保存された旧給水所の外壁と銘板が歴史を感じさせる。ここから給水が始まったのは明治30年代初め。神明境内のけんかから、100年近くが過ぎていた。

 【メモ】「神明恵和合取組」には「雨上がりの水道じゃアあるめえし、済むも済まねえもあるものか」というせりふも出てくる。芝には玉川上水の水が来ていた。

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