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【石井岳龍】映画界の“革命児”が名前を変えたワケ

2012.02.16


石井岳龍【拡大】

 18日公開の映画「生きてるものはいないのか」の監督の名前は石井岳龍。聞きなれない名前だが、目の前に現れたのは「狂い咲きサンダーロード」(1980年)、「爆裂都市 Burst City」(82年)で日本映画界の革命児と評された石井聰亙(そうご)。ということは、「五条霊戦記 GOJOE」以来、約10年ぶりの長編映画監督作だ。

 「名前は2010年に改名しました」と言う。石井聰亙の名前は世界に知られているのに、なぜ?

 「聰亙という名前は漢字を間違えられることが多く、前から名前を変えたいと思っていました。DVDで(初期の作品を集めた)総集編が発売されたこと、そして『狂い咲きサンダーロード』に主演した山田辰夫さんが09年7月に53歳で亡くなられたこともあり、石井聰亙はもう卒業しようと決めて岳龍に名前を変えたのです。とくに『龍』という字が好きで、『岳龍』は10年ほど前から決めていた名前です。歌舞伎など伝統芸能の世界で襲名して名前を変えるように、また葛飾北斎が生涯で何度も名前を変えたように、自分も名前を変えたのです」

 なるほど、そういえば日本映画の父・マキノ雅弘も何度も名前を変えていた。

 製作にも名前を連ねる「生きてるものはいないのか」は、岸田國士戯曲賞を受賞した劇作・演出家、前田司郎の同名戯曲を映画化したもの。病院に併設された大学のキャンパスを舞台に、前半はそこに集う学生らの日常が描かれるが、そのうちの1人が突然倒れて死ぬことをきっかけに、登場人物が次々と謎の死を遂げるという“不条理劇”だ。撮影は、岳龍監督が教鞭を取るようになって6年になる神戸芸術工科大学のキャンパスで行われた。

 主演は園子温監督の「ヒミズ」(公開中)で、ベネチア国際映画祭日本人初のマルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人賞)を受賞した染谷将太。今回の役のために「喫茶店でバイトをした」という19歳だ。

 「染谷くんとは、いつか一緒に仕事をしようと思っていました。今回の役どころは最初25歳の設定でしたが、染谷くん以外に考えられなかったので彼の年齢まで役を若くしたんです」

 これは石井聰亙20代の代表作「逆噴射家族」(84年)のときと同じ。

 「工藤夕貴の役も、もともと高校生でした。ところが高校生で探してもいい人が見つからない。中学1年生の工藤夕貴に会ってみたら面白かったので、高校生から中学生に役の設定を変えました」

 名前は変えても、映画作りの姿勢は昔も今も変わらないのだ。その後、工藤夕貴は米映画「ミステリー・トレイン」(89年)、「SAYURI」(05年)で国際的評価を高め、現在もカナダ映画に出演中。同様に、染谷将太にも大きな期待がかかる。

 78年、日大芸術学部3年の時に撮った8ミリ映画「高校大パニック」が、日活でリメイクされた。クレジットでは共同監督となっているが、実際には「まったく何もできませんでした」といい、触れてほしくない(?)過去のようだ。

 しかし、「撮影所を内から見ることができたのは貴重な経験でした。ちょうど『野性の証明』で高倉健さん、テレビの『大都会』で石原裕次郎さんや渡哲也さんが撮影所を闊歩していました。いま思い返すと、すごい光景でした」

 80年代の前後、映画監督になるには映画会社に助監督として入社しなければいけなかった。その“常識”を覆したのが、いまは死語になって久しい「自主映画」出身の監督たち。その1人が石井聰亙だった。

 85年、世界3大映画祭のひとつであるベルリン国際映画祭のフォーラム部門に「逆噴射家族」を出品し、東西時代のドイツに行ったのが初めての海外旅行だった。それから四半世紀が過ぎ、石井聰亙改め石井岳龍の“襲名映画”「生きてるものはいないのか」は、新たに世界を目指す。

 (ペン・小張アキコ カメラ・高橋朋彦)

 ■いしい・がくりゅう 1957年1月15日、福岡市生まれ、55歳。76年、日大在学中に撮った「高校大パニック」が注目され、78年に日活版「高校大パニック」を共同監督。84年、ATGで「逆噴射家族」を監督、翌年のベルリン国際映画祭で一躍注目を浴び、第8回サルソ国際映画祭(イタリア)でグランプリに輝く。90年代は「エンジェル・ダスト」、「水の中の八月」を発表。2000年に時代劇「五条霊戦記 GOJOE」、01年に「ELECTRIC DRAGON 80000V」を監督。06年から神戸芸術工科大学教授。

 

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