以後2年間、事務所のスタッフとして働きながらレッスンを続けデビューの日を待った。
1995年『おしろい花』でデビュー。だが、以後8年はまったくヒットには恵まれなかった。運命の曲となったのが2002年にリリースした『東尋坊』。
「あくまで曲先行でした。カラオケファンの皆さまに“曲がイイ”と支持されて、口コミでジワジワと話題になったんです。そこから、歌っている水森かおりも徐々に知っていただいた感じですね」
その後、『鳥取砂丘』(03年)から現在まで、“ご当地”曲が立て続けにヒットする。
「次第に地方キャンペーンに行くと集まってくださるお客さまの数、反応が違ってくる。特に曲の地元の歓待はすごい」
「わが地元を歌に」という依頼は、常に殺到中だそうだ。
■危機感が原動力
いまやNHK紅白歌合戦の“常連”と言っていい。近年はゴージャスな衣装も話題。演歌が売れないといわれる時代に、確実にセールスを記録する人気をともなった実力派。だが、地道な努力は今も続いている。
「先日もレコード屋さんの店頭で歌わせていただきました。紅白に出場しても、オリコンの記録を更新しても、安心だとは思っていません。常に危機感を持っています。常にそういう気持ちでいるのが、頑張る原動力になっています」