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【秘録 今明かす「あの時」】大蔵省の責任に言及した『覚悟の報告書』 国広氏「山一は日本企業の悪い意味での典型例」 (1/2ページ)

★山一証券自主廃業から20年(下)

 1997年11月22日朝。弁護士の国広正(62)は、自宅に届いた日本経済新聞朝刊を見て驚いた。

 《山一証券 自主廃業へ 負債3兆円、戦後最大 顧客資産保護へ日銀特融》

 1面トップに、見出しが大きく躍っていた。四大証券の一角である山一が倒産するとは考えてもいなかった。同時に「仕事がなくなったな」と残念に思っていた。

 一般市民を主な依頼主とする「町弁」だった国広は、暴力団などが民事紛争に介入して不当に利益を得る「民暴(民事介入暴力)」を専門にしていた。その力量を見込まれ、97年夏から、山一の「総会屋絶縁チーム」に加わっていたのだ。

 いったん切れたと思っていた山一との縁は再びつながる。山一に発足した社内調査委員会の委員となるよう求められた。

 話を受けるかどうか正直、迷った。国広は「暴力団ならいくらでも相手できるけれど、証券は分からないし、とてもじゃないけどできないだろう」と考えたが、こう思い直した。「人間が何を考え、どうごまかし、どうやって隠したかというファクトの部分ならばできるのではないか」

 覚悟を決め、調査に没頭する日々が始まった。午前中に事務所で仕事をこなし、午後からは山一本社に詰めた。調査は深夜に及び、泊まり込むこともあった。

 手探りの調査だった。どこから手をつけていいかさえ分からなかった。「部品集め」から始まり、簿外債務が膨らんでいった経緯を徐々に描き出していった。

 調査委員会は山一社員7人と弁護士2人で構成されていた。社内の人間はどこを調査すれば、どんな資料が出てくるかを熟知していた。一方、国広らは、社会に公表するという観点から、調査の足りない点を指摘し、文章を分かりやすくすることにこだわった。

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