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繁栄「六本木」「代官山」にあって、衰退「ニュータウン」にないもの

 街というものは生き物である。生まれて、成長して、やがて老化して、消滅することもある。

 寿命の長い街は何千年も栄える。ヨーロッパではローマが約2700年の歴史を持つ。日本なら京都の歴史は約1200年だ。

 東京と大阪はともに約400年余り。日本の街としては比較的新しい方になる。

 東京という街は、横浜や埼玉、千葉の市街とつながっている。これをマクロ的に首都圏という枠組みで見れば、人口は約3800万人。1つの都市と見なせば世界最大級ということになる。

 首都圏はつい最近まで発展期にあった。人口が流入し、新しい街区が次々と形成された。

 首都圏の中には無数の小さな街が形成されている。その街の生成には大きく2つのスタイルがある。まずは自然発生的に街が形成され、発展していくケース。

 例えば六本木(東京)周辺は第2次世界大戦が終了するまで都心の外れにある準郊外だった。ところが戦後は米軍の兵舎が設けられた。またその関連施設も置かれた。

 周辺には米軍の兵士や関係者がくつろげる飲食店が開業するようになり、欧米系の外国人が集う街へと発展した。やがて今日のような歓楽街へと発展する。

 六本木の繁栄は、米軍の駐留という起爆剤はあったが、どちらかというと自然発生的だ。誰かがあの街のグランドデザインを描いたわけではない。

 代官山(同)が今日のように人気とステイタスを備えた街になった過程は、かなり興味深い。

 代官山も戦後のある時期まで普通の郊外だった。1967年、このエリアの大地主である朝倉家が建築家の槇文彦氏に集合住宅の設計を依頼したことによって、ヒルサイドテラスの歴史は始まる。

 その後、四半世紀の年月をかけてヒルサイドテラスが建設されていった。「代官山がおもしろい」ということで、次々とコスモポリタンな建物ができ、時代を先行く店舗が集まり、クリエイターたちが好んで住む街へと発展した。

 代官山は半ば人為的に形成されたが、発展の過程は自然発生的だ。

 これに対して、ほぼ100%人為的な街づくりもある。分かりやすい例ではニュータウンだ。多摩や港北、関西なら千里や泉北などのニュータウンは、いかにも人の頭の中で隅々まで描いた、という印象が強烈だ。

 私が見る限り、こういった「上からの開発」で魅力的な街並みが形成できているケースはほとんどない。できたばかりの頃は先鋭的で秩序のある街並みが印象的だ。しかし、どれもこれも20年も経過すれば色あせて見えてしまう。

 東京も大阪も、そのコアなエリアは自然発生的に繁栄してきた。時に人為的な要素がきっかけになって街が発展することもある。しかし、街づくりのすべてを人為的な力に委ねると、生きものとしての街の生命力は弱くなる。そのことはニュータウンの衰亡が実証している。

 ■榊淳司(さかき・あつし) 住宅ジャーナリスト。同志社大法学部および慶応大文学部卒。不動産の広告・販売戦略立案・評論の現場に30年以上携わる(www.sakakiatsushi.com)。著書に「マンションは日本人を幸せにするか」(集英社新書)など多数。

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