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【あのときアレは神だった】「竹村健一」 30年先を行っていた“意識高い系”

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【あのときアレは神だった】「竹村健一」 30年先を行っていた“意識高い系”

 「だいたいやね〜」「わたしなんか、これだけですから、これだけ」「デリーシャスよ、奥さん」。あの態度、あのセリフ、そして、あの髪形。竹村健一の存在は衝撃的であった。

 タモリに「チャンター分け」と称された謎の髪形とパイプ姿。なんだか知らないが、めちゃくちゃ頭がよくてすごい人らしいという「噂」。そんなイメージで彼は、われわれに迫ってきた。

 竹村は、フルブライト奨学金留学の第一期生である。なんでも、アメリカが優秀な日本人エリートの育成のために自国に招待してくれる留学プログラムがあるんだなと、そんなことを知ったのもこの頃であった。

 この頃とはいつのことか。竹村の姿が、子供たちにまで浸透したのは、1980年頃からではないだろうか。その頃、数々のCMやその流行語をパロディーにしたレコードが2枚も発売されている(『MOU KORIGORI DA』『竹村健一の手帖/ぼくなんかこれだけですよ』)。

 神というにはあまりにも人間臭い人だったような気がする。パロディーにされているのを薄々わかっていながら、バラエティー系の畑にあまり降りすぎないのも絶妙な感じだった。また、今から考えると、ものすごいポジティブシンキングで、自己啓発的な意識を大事にし、(髪形まで含め)セルフプロデュースの先駆けとなるような客観性も持ち合わせていた。

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