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「夢で見た人」と結婚した祖母

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆様!

 長年の戦争が終わってまもなく、建築家になるという夢を持ってエカテリンブルグにやってきた当時16歳の祖母は、建築学校に入学し勉強を始めました。

 1年が経ったある日、祖母の配給スタンプが盗まれました。当時の社会主義ソ連では、そのスタンプがなければ食料が調達できません。

 少ない貯えも尽き、遂に食料を買うことが出来なくなった祖母は、勉強をやめて村に帰らなければなりませんでした。

 数カ月後、ラトビアに住む祖母の姉から連絡が来ました。

 既にバルト海沿岸の都市、リエパーヤに住んでいた姉は、故郷の村で意気消沈していた祖母のために仕事を見つけ、移住許可の手配をしていました。そして、リエパーヤに移り住んだ祖母は発電所で働くことになりました。

 その年の暮れ、姉が当時ロシア女性の間で流行していたまじないの一種を祖母に試しました。

 そのまじないの後に夢を見ると、その夢が叶うという話でしたが、試された祖母は真剣に取り合いませんでした。

 しかしその晩、彼女は本当に夢を見たのです。

 それは“祖母が広場を歩いていると背の高い船員に気付き、船員のそばに近寄ると、彼がひざまずいてプロポーズする”という夢でした。

 数日後、海軍の若い兵士のために開かれたパーティーに行った祖母は、夢で見たような背の高い青年と目が合いました。その青年は後の伴侶になる祖父で、お互い一目ぼれでした。

 交際が始まって数カ月後、祖父に占領地ドイツに行く命令が下りました。そこで、祖母は祖父を待ち続ける条件として、“毎日手紙を書いてほしい”というお願いをしました。

 祖父は約束を守り、ドイツから祖母に向けて毎日手紙を書き送り続けました。

 その2年後に祖父はラトビアに戻り、二人は結婚しました。そして、共に長く幸せな生活を送り、祖父は2008年に、祖母はその2年後に亡くなりました。

 私が小さい頃の故郷の町では毎年ナチス・ドイツ戦勝記念日がくると、家族が祖父母の家に集まり、みんなで一緒に記念日を祝うことが普通でした。

 そこで食事をしながら祖父母の昔話に耳を傾けた記憶が私の中に残っていたので、彼らの戦争体験を書くことができましたが、祖父母は、その時代を生きてきた何千万もの人々のうちの一人でした。

 祖母は最期の時を迎える前に、ベッドの上で私に言いました。

 “あなたの世代では戦争が起こらないように、天国からも祈り続ける”と…。

 ■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルクの医科大を経て、現在は大学院で眼科学を専攻する傍ら、日本人コンポーザーTAMAKIと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット“Crystal Mint”を結成。シンガーとして、主にヨーロッパで活動中。特技は英語、腕立て伏せ。

Instagram : https://www.instagram.com/crystalmintmusic/

Website : https://crystalmint.info/

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