【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】歌に限らず、女優の仕事でも…とにかく「褒められたがり屋」の性格 (2/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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歌に限らず、女優の仕事でも…とにかく「褒められたがり屋」の性格 (2/2ページ)

 「スター誕生!」の81年12月6日放送の決勝大会で明菜は「夢先案内人」を歌唱した。すると11社のレコード会社や芸能プロダクションから獲得の意向を示すプラカードが上がった。その結果、当初は演歌系の歌手が多く所属する老舗の「第一プロダクション」とやはり老舗レコード会社の「日本コロムビア」への所属が内定した。

 ところが当時、まだ新興だった芸能プロダクション「研音」が明菜を諦めきれずにいた。

 「何とか、内定をひっくり返せないのか」

 事務所とワーナー・パイオニアの担当者は、明菜本人はもちろん家族を説得、一方で番組を放送する日本テレビとも交渉し「一夜にして内定をひっくり返した」(事情通)と言われる。

 その結果、所属事務所は「研音」に決まり、レコード会社は「ワーナー・パイオニア」となり、歌手・中森明菜がスタートした。(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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