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【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】作曲家・井上大輔、色あせぬストック曲は100以上! 「ブルー・シャトウ」「ランナウェイ」など

 1967年、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が大ヒット。GS全盛の中で一味違う大人の雰囲気を持っていた。

 「森と泉に囲まれて」の歌い出しを「森とんかつ 泉にんにく」とする替え歌で子供までが歌っていた。アマチュアバンドは「ブルー・シャトウ」をエイトビートのリズムの練習曲にした。

 自分たちでオリジナルを作ったビートルズに憧れて日本もGSブームが起きたが、オリジナルヒット曲は難しかった。ブルコメが、メンバーの井上大輔さんの自作曲を作っており、大きな存在だった。

 やがてGSブームも下火になった72年から井上さんは作曲家に転身。荻野目洋子「ディセンバー・メモリー」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」、西城秀樹「一万光年の愛」、フィンガー5「学園天国」、シャネルズ「ランナウェイ」、「機動戦士ガンダム 哀 戦士」の主題歌など多くのヒット曲を生み出す。

 80年代に入ると、楽曲依頼はジャンルを問わずコンペが多くなる。CMソングでは日常だったが、流行歌の世界もにわかに増えた。若い世代のディレクターが増えると、どうしても大御所を避け、自分たちの世代で競争させながら新しい楽曲と若手クリエイターを育てたいという傾向になる。平たく言えば、大御所にはでき上がったものにNOとは言いにくいというのもあるだろう。

 このあたりについて、井上さんのマネジャーをされていた中道秀夫氏(ミラクルバス社長)は「大輔さんもそんな事情を理解して、コンペに参加し、採用されなくてもボタンを掛け違えたようなもの、いつかハマるときがくるとおっしゃっていました。曲の直しがあれば、若いディレクターであろうと真摯な態度で応対されました。驚いたのは、発注を待たずにいろんな歌手を想定して作曲していたのです。ストック曲は100曲以上。今も色あせずに生きています」と明かす。

 素晴らしい功績を残された井上さんだが2000年に病気をされ、突然自殺。奥さまも後を追うように亡くなられた。中道氏は、井上さんからの最後の言葉として「仕事は、誰でも乗っているときは100点、それ以上もとれる。調子の悪いときが本当の点数。どんなにつらいときでも、お前は0点をとるな。しがみついてでも60点で踏ん張れ」と言われたそうだ。

 ■井上大輔(いのうえ・だいすけ) 作曲家。1941年9月13日~2000年5月30日。本名及び旧芸名は井上忠夫。

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問。1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。2017年5月、徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問を退任し、現職。

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