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あたらしい「四民」のための「歌」と「儀式」の発明(1)

 明治時代は、近世的身分制度に基づいた江戸の封建社会から、近代的な資本主義社会への移行期です。この移行は、「維新」による「御一新」によって、即座に実現した訳ではもちろんありません。明治政府は試行錯誤を繰り返しながら、「四民平等」の「資本主義」による、あらたな社会を運営するためのシステム作りをおこないました。

 そして「唱歌」もまた、この「ポスト身分制社会」を成立させるために生み出されたさまざまな文物の一つなのです。

 江戸期までの音楽は、それを受容する人々がその身分によってセグメントされていたことと同じく、とても細かい派閥に別れ、それがおこなわれる場所と役割もガッチリと囲い込まれたまま、ちいさい集団内での洗練と頽廃を重ねて、二〇〇余年の歳月を過ごしてきました。

 その歌は、形式・内容ともに、封建的身分社会のあり方に規定された、その枠内からはみ出ることがないものばかりです。公家・朝廷の雅楽、武家の謡、農民たちの民謡、町民の長唄・浄瑠璃……これらの「音楽」は、それぞれそれを享受する人たちの身分を反映し、その身分をむしろ固定化させる方向へと働く力をもっています。同じ歌を唄っている人たちは、同じ集団に属している。細かく細かく分割された集団それぞれに自分たちの歌がある。近世においては、歌は商品ではなく、その人がどの集団に属しているのかを明らかにする印として働いていました。だからこそ、そこにはタブーが生まれ、また、それを破ることのドラマも生まれます。「芸」を専門にして暮らしてきた歌舞伎役者などの人たちが、この社会の中でどのように扱われてきたのかを辿ることは、非常に興味深いことですが、細かくなるのでここでは触れません。

 しかし、明治維新によるへルター・スケルターで、それぞれの集団の流動化がはじまります。江戸期に生きていた人間たちは、その社会的枠組を取り外され、「四民平等」というほとんど不定形な状態にまで還元されて、明治の世の中に投げ出されました。ここで生まれた「民衆」を、あらたな枠組みでもって再編すること。天皇を元首に据えた「一君万民」思想は、このような再編成のために明治政府が選んだフィクションの一つです。

 ばらばらな私を私たちにするためのフィクションーー「唱歌」もまた、このような「ポスト身分制社会」が必要とした発明品なのです。これまでのような、身分制の硬い枠内でのみ流通するような音楽ではなく、縦横斜め全ての国民に対して横断的に、それこそ、それを一緒に唄うことが「四民平等」というイデオロギーの体現となるような「歌」。

 このような「歌」のために文部省は、封建主義の残滓とともにある既存の音楽を却下して、これまでの日本には存在しなかった「ドレミ」を導入し、まっさらな状態で、子供たちに明治の世の中に相応しい、まったくあたらしい歌を唄わせることに決めたのでした。

 とはいえ、ここまでの連載で書いてきたように、その実現までは紆余曲折。伊沢修二ら音楽取調掛の官僚たちが望んでいたような「歌」は、伝統主義者の抵抗もあって、政府内部においても中途半端なかたちでしか推進することは出来ませんでした。しかし、そもそも、「四民平等」のための歌を「官僚」が作って上から押し付ける、という作業自体に無理があったのかもしれません。

 前田愛氏はその著作のなかで、当時の官僚たちが同時期に制作した「小学唱歌集・初編」と「新体詩抄.・初編」を並べて比較し、この二つはどちらも、当時隆盛を極めていた自由民権運動の「演説」、および、そこで唄われる「演歌」に対する政権側からの回答という側面があるのではないか、と指摘しています。政府は、維新によって野に放たれた「詩歌の力」を、自分たちが望む方向に溝付けしてゆく必要を強く感じていた。そのためのマニフェストがこの二作であり、実はこの裏には、民権運動というかたちを取った、明治のあたらしい民衆のパワーが渦巻いていたのだ、ということです。この視点から考えるならば、民権運動から発生した「演歌」=「政治演説の歌」は、都々逸やかっぽれ、これまで数限りなく唄われてきた小唄の節を援用した、「下から作られた四民平等の歌」だと言えるでしょう。

 民権運動が下火になったのち、演歌は唱歌を取り込みながら、政治的な意図をもはや主張することのない、歌詞とメロディーそれ単独だけで十分に楽しむことができる歌謡芸能に変化して、昭和の時代まで庶民に楽しまれてゆくことになるでしょう。この話はまた別の講釈。

「小学唱歌集・初編」が発表された明治14年。メーソンや伊沢ら音楽取調掛の面々は、東京女子師範学校の演奏会にて、その最初の成果の発表をおこないます。この演奏会の内容は、当時通訳を勤めていた岡倉覚三(のちの天心)によって、メーソンの長女への手紙として、英文でその詳細が書き留められています。次回はその内容を確認してみましょう。

■大谷能生(おおたに よしお)

 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。

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