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あたらしい「四民」のための「歌」と「儀式」の発明(2)

 メーソンが来日して、唱歌教育が本格的に始動してからおよそ一年。「小学唱歌集・初編」を刊行した彼らは、その最初の成果の発表会として、東京女子師範学校での演奏会を企画します。皇后陛下が臨席するという最大限に晴れやかな舞台において、彼らはどのようなニュー・サウンドを披露したのでしょうか。この演奏会の内容は、当時通訳を勤めていた岡倉覚三(のちの天心)によって、メーソンの長女への手紙として、英文でその詳細が書き留められています。この手紙は、中村理平氏が「洋楽導入者の軌跡」(刀水書房)の中で翻訳、紹介してくれたことによって、容易に読むことが出来るようになりました。

 その手紙によると、演奏はメーソン(ピアノ、その他)、山勢松韻(箏)、式部寮伶人たちの管弦楽に、年少から年長までの女学生たちの唱歌が加わるというかたちで進められました。年長の生徒たちはきらびやかな帯や頭飾りを付け、王朝風のゴージャスな衣装を着て、和洋折衷に訓練されたエチケットでもって来賓者をもてなしたそうです。

 皇后が到着すると、オーケストラは(当時の)イタリア国歌「Queen Heaven 」を演奏しました。「君が代」じゃないのね。この時点では、まだ日本では「国歌」および催事においてどんな曲を演奏するかの取り決めは、まだまだ過渡期にあったわけです(ちなみに現在のイタリア国歌は大戦後、共和国になってから採用された一名「イタリアの兄弟」)。

 女生徒たちの歌は「Long May the righ」、「Charming Little Valley」(唱歌名:「若紫」)、「Moral Song1」。その後、日本の曲が三曲。皇后自身が歌詞を書いた「學の道」。「Moral song 2」、「Bonny Doon」、「Auld Lang Syne」(蛍の光)……と、天心は手紙の中で、原曲のタイトルで彼女たちが唄った歌を記しています。彼女たちが退場する間は、ハイドンの「Brightly Gleams Our Banner」が演奏されました。これは当時のオーストリア国歌だそうです。音楽取調掛の人たちは、まずは世界各国の「国歌」を取り寄せて、それを演奏できるように研究していたのでした。

 師範学校付属の年少組が入場します。

 彼女たちが唄ったのは、「Lightly Row」、「Rousseau's Dream」(蝶々)、「There is a Happy Land」(春の彌生)。「社会契約論」を書いたルソーの名前が付いた楽曲と、キリスト教讃美歌が、「日本の唱歌」としてあたらしい歌詞を付けられて、並べて唄われているのはとても興味深いことですが、この子供たちの入場時にメーソンはこんな音を鳴らしたと、岡倉天心は記録しています。

 <彼らはメーソン氏によるピアノの3回鳴らしに従って、正面を向き、挨拶をし、そして座りました。>

 いまでも(ですかね? 少なくとも、筆者が子供の頃までは)学校の行事などで行われている、ピアノで「トニック」ー「ドミナント」ー「トニック」と鳴らして「起立・礼・着席」をさせる「ピアノの3回鳴らし」が、この演奏会において、すでに登場しているのです。

 このサウンドこそ、伊沢修二ら文部官僚が「学校の音楽教育」に取り入れたかった「西洋音楽」の代表なのでした。西洋の機能和声システムが生み出す「緊張」と「解放」の、もっともシンプルで力強いかたちが、この「ピアノの三回鳴らし」には宿っています。単にピアノのコードを三回鳴らすだけで、きわめて「自然」なかたちで、人を一斉に立たせ、動かし、また座らせてしまう……そんなパワーが、西洋音楽のドレミには備わっているのでした。

 これは三味線では決して作ることの出来ない世界です。明治の官僚たちが、西洋音楽を是が非でも日本に輸入し、定着させたいと考えたのは、このような、近代的な儀式の場所できわめて有効に集団を動かすことが出来る機能が、「機能和声」と「周期的律動」に乗則った「洋楽」には備わっているからなのでした。

 ここから一五〇年、わたしたちの身体はこうした、ドレミの響きが作り出す「緊張」と「解放」による「儀式」の時間と空間に、何度も何度も晒されながら育てられてきました。学校の行事でおこなわれる、ピアノのドレミが作り出す儀式の場に適応することが、近代国家の国民として、私たちに課された義務となったのです。

 三味線音楽がまだまだ全盛を誇っていた明治の初頭、この「ピアノの三回鳴らし」は、明治人たちの耳にどのように響いたのか。実は、それはきわめて「異様な」響きとして、当時の人たちには受け止められていたのではなかったか……残念ながら、このことに関する記録は、まだ読むことが出来ないままです。

■大谷能生(おおたに よしお)

 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。

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