【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】沢田研二のために作詞した「ロリータ」が…“明菜バージョン”「少女A」に - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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沢田研二のために作詞した「ロリータ」が…“明菜バージョン”「少女A」に

 「少女A」。

 「新人の作詞家といっても、さすがに広告代理店上がりのコピーライターだけあって、キャッチでインパクトのあるタイトルをつけるよね」

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)内では、デビュー曲とはガラッと変わった楽曲に不安視する販売担当者もいたが、一方で「タイトルも歌詞もインパクトがあってイケるかもしれない」という評価も多かった。

 作詞は駆け出しの売野雅勇だった。

 「既成の作家ではなくシンガー・ソングライター系、そうでなければ新人作家を起用した作品づくりを心がけるように」

 明菜の制作宣伝を統括していた寺林晁氏は、これまでにない斬新な作品で勝負したいと考えていた。アイドルの作品にシンガー・ソングライター系のアーティストを積極的に起用した前例があった。松田聖子だ。稲垣博司氏(元ソニー・ミュージックエンタテインメント代表表取締役副社長)は振り返る。

 「山口百恵が引退して、さて、どうしたらいいのかと思っていた時、ウチのオーディションで合格したのが聖子でした。彼女の場合、もともとは平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール)の出身だったので、本来なら平尾さんに曲を作ってもらうのが筋なんですが、当時の宣伝担当者がディレクターに『聖子(の作品)はシンガー・ソングライター系で行きましょうよ』と提案をしたのです。結果、小田裕一郎をはじめユーミン(松任谷由実)や財津和夫、大滝詠一、細野晴臣らを起用することになるわけですが、実はそれが斬新でした。もちろん明菜さんの場合も、戦略としてその路線でスタートしたのでしょうが、結果的に聖子と明菜は、そんな部分でも比較されるようになったと思いますね。ただボーカル力、表現力は明菜さんのほうが圧倒的でしたけどね」

 1980年代から今日までの聖子と明菜のヒストリーは作品作りからスタートしたのかもしれない。

 しかし「少女A」には裏話があった。明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は「もともと売野さんが、沢田研二さんのために作詞した『ロリータ』という曲があったんです」と切り出すと、続けて「この曲は沢田さんではボツになったのですが、たまたま、ウチの(明菜担当の)ディレクターが考えていたコンセプトと一致したんです。で『この曲だ!』と思ったようです。売野さんに掛け合い、男女の視点を入れ替え、新たに“明菜バージョン”として書き換えました。曲は尾藤イサオさんのバックバンドでギターを担当していた河内広明さんが、芹澤廣明名義で書き下ろしたのですが、具体的には芹澤さんが書き上げていた何曲かのストックから選曲して誕生したのが『少女A』でした」。

 だが明菜は「少女A」が、自分のことと思い込み「絶対に歌いたくない」と拒んだ。もっとも楽曲決定は寺林氏の意向もあって、最終的には納得したが「内心は歌うことには不満だったのではないか」と富岡氏。

 余談になるが、実は筆者は同曲の発売日直前に東京・品川のプリンスホテルの室内プールで行われた発売記念イベントに足を運んでいた。まだ知名度の低さもあってか熱狂的なファンはまばらだったように記憶する。その時、プールサイドに登場した明菜は、司会者の質問に無愛想に返答するなど、どこか不機嫌そうだったことが印象に残っている。

 「おそらく楽曲について、あまり聞かれたくなかったのかもしれませんね」(富岡氏)(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな)1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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