【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】アルバムと連動「少女A」プロモート順調も…全国30万人都市キャンペーンは断念 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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アルバムと連動「少女A」プロモート順調も…全国30万人都市キャンペーンは断念 (1/2ページ)

 中森明菜の魅力は歌唱力と同時に、その優れた情感表現に負うところが大きい。それは歌の主人公になり切る力量が、他のアイドル歌手に比べても群を抜いていた。

 「少女A」について当初、明菜は“A”が自分のことだと思い込み「絶対に歌いたくない」と拒んだというが、しかし、いざ歌うと、その情感表現の豊かさは明菜ならではのパフォーマンスとして反映された。

 「少女A」を作詞した売野雅勇は、誕生秘話について、オリコンのインタビュー(2016年7月16日)で語っている。

 「あの頃はまだ素人でした。アイドルに歌詞を書いたこともなかったですし。『少女A』は歌詞が先でしたが、最初は今皆さんが知っている『少女A』とはまったく違ったメロディでした」

 当初は沢田研二に提供するために書いた「ロリータ」という作品だった。が、それがボツになっていた。ところが「当時のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)のスタッフが僕の詞を気に入ってくれて、詞だけを残そうということになりました。それで、次に改めて曲をつけてくれるのが芹澤(廣明)さんに決まったんだけど、僕の詞を渡すんじゃなくって、芹澤さんの曲のストックをチェックし始めたんですよ。結果、このメロディなら、この詞が合いそうだと、1曲ピックアップしてきました」。

 ピックアップされた曲は「蒼いシャガールの絵」という作品で、すでに詞もあったが、売野の「少女A」の詞のほうがピタリとはまったのだ。

 「芹澤さんは才能のある方なので、素人の(僕が)書いたサビを若干変えたんだと思います」

 まさに試行錯誤の中で完成した「少女A」だが、まさか、この作品が売野の出世作になるとはこの時は夢にも思っていなかっただろう。

 「少女A」は1982年7月28日に発売された。ワーナーの邦楽宣伝課に属し、明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は、先行して発売されたアルバム「プロローグ(序章)」との連動を図り、セールスの拡大を狙っていた。デビュー前から全国の営業所やレコード店、メディアに向けて毎週金曜日に出していた「明菜新聞」も手を抜くこともなかった。

 「とにかく、情報はたくさんありましたから。写真を入れながら明菜の日常や情報を編集していましたね。もちろん1人なので大変でしたが、日々、反応の高まりが肌で感じられたので、それが励みになっていたのかもしれません。しかも、アルバムは初登場でベストテン入りしていたわけですから、セカンドシングルも当然、ベストテン入りを考えていました。もっとも芸能誌からの問い合わせは増えてきたといっても、やはりテレビはイマイチでした。ただ、テレビ東京の『ヤンヤン歌うスタジオ』はレギュラーのように出させていただいていたし、もちろん『スター誕生!』(日テレ)にも出ていましたから認知度は確実にアップしていましたね」

 富岡は、そんな中で計画していた全国30万人都市キャンペーンの実現に向けてスケジュール調整を始めていた。

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