【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】存在感高めた歌唱力と情感表現! メディアに“出ない”ことで逆に注目 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

記事詳細

存在感高めた歌唱力と情感表現! メディアに“出ない”ことで逆に注目 (1/2ページ)

 セカンド・シングル「少女A」はデビュー曲から3カ月後の1982年7月28日に発売された。デビュー曲の「スローモーション」とは一転、10代少女の情感をマイナー調8ビートに乗せ、斜に構えたツッパった雰囲気で歌う中森明菜が一気に注目された。彼女の魅力は歌唱力と同時に優れた情感表現だったことは言うまでもない。

 注目度とは裏腹に「少女A」は8月9日付のオリコンのシングル・チャートでは初登場40位と思ったほどの動きを見せなかった。

 「確かにファースト・アルバムのセールスは良かったことは事実ですが、やはり新人の中での扱われ方は5~6番手だったのかもしれません」と前置きした上で、その裏側に「芸能界は事務所とレコード会社の力関係で勝負が決まってしまった部分もありましたからね。明菜の場合、他の新人と比較しても芸能誌への掲載が少なかったし、テレビの音楽番組も大きな番組には出演できなかった。これがセールスでのマイナス点になったのかもしれません。しかし、それが逆に効果的に働いたところもあった。とにかく彼女の場合は一般ユーザーからの評価が圧倒的に高かったんです。明菜がメディアに登場しない芸能界の事情に疑問を感じるユーザーがたくさん出てきてきたのです。実際にテレビよりもラジオや有線といったメディアでファンになった人も多かったようですしね。今でいう『業界ウケ』とか『一般ウケ』なんて、明菜から生まれた言葉だったのかもしれません」(当時を知るアイドル通の雑誌編集者)

 実際、「少女A」が出た頃から「中森明菜って知っている?」という10代、20代の反応が増えたといわれている。

 新人アイドルにとって芸能誌やテレビの音楽番組に出演することは重要なプロモーションだが、明菜の場合は「出られなかった」ことが逆に注目され、結果的に「見てみたい」「聞きたい」という飢餓感を一般ユーザーに与えたのかもしれない。その明菜の魅力や存在感を高めたのは「歌がうまい」「生意気そう」「ツッパってる」、そして「かわいい」というワードだった。

 「少女A」も、最初は「歌いたくない」といった明菜も、いつの間にか「意欲」に変わっていた。音楽関係者はいう。

 「彼女は完璧主義者。歌う以上、中途半端な気持ちはなかったはず。ただ情感表現が豊か過ぎるのか、完璧さを追求し過ぎるためか、そういった精神状態が歌に反映してしまい、ちょっと不安定なパフォーマンスになって現れたこともあったように思います。しかし、そんな部分も明菜は魅力に変えてしまった」

 明菜は自分の性格について語っている。

 「私はすごく『褒められたがり屋』なんです。怒られたり注意されたりすると、褒められるまで頑張るような子だったのです。だから、(小さい頃から母は)私には歌を注意すれば、いくらでもうまくなると。全部直してくるんだろうと踏んでいたのだと思います。歌に限らず、すべてにおいてそうでした。人に褒められたい。認めてもらいたいと思うようになっていったんです」

関連ニュース

アクセスランキング

×