【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】「少女A」のヒットで3枚目シングルが大モメ! 流れはツッパリ路線だったが… (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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「少女A」のヒットで3枚目シングルが大モメ! 流れはツッパリ路線だったが… (1/2ページ)

 オリコンのシングル・チャートで初登場40位、わずか5410枚の売り上げ枚数でスタート(1982年8月9日付)した中森明菜のセカンド・シングル「少女A」は、発売2カ月、9週目の10月4日付で9位にランクインした。さらに10月18日付では5位へとランクアップ。売り上げ枚数は70万枚を突破した。まさに“遅咲き”の大ヒットだ。

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で明菜を担当していた富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)はいう。

 「デビュー曲『スローモーション』は16万枚ほどでしたからね。ただ、それでも来る(売れる)という信念は持っていましたよ。しかし…まさかここまでとは思ってもいませんでしたが。今でこそ“花の82年組”なんて言われますが、当時は売り込みに行ってもまともに相手されなかったですから。やはり明菜の頑張りだと思います。最初は『歌いたくない』と言いましたが、いざとなったら、あれだけの表現力で歌い切るのですから、プロ意識は新人でもピカイチ。表現者として、ボーカリストとしての実力は備わっていたのです。もっとも『少女A』が売れて、周りが盛り上がっているにもかかわらず明菜は平然と『スローモーション』のほうが好きとか言ってましたが。とにかく自分の気持ちには正直だったんです」

 新人とはいえ、この頃からアイドルの枠には収まらない“ボーカリスト中森明菜”としての強烈な自負があったに違いない。それが「少女A」で開花されつつあった。その結果、音楽業界でも明菜は、山口百恵の後継的イメージで解釈されるようになっていった。

 だが、「少女A」のヒットで3枚目のシングルが大モメになった。

 当初、サード・シングルは「スローモーション」の来生えつこと来生たかおコンビが書き下ろした「セカンド・ラブ」で決まりかけていた。ところが担当ディレクターが「この流れを確立したい」「次も『少女A』の売野雅勇の曲で行きたい」とアルバムの収録曲「キャンセル」を提案してきたのだ。

 この提案に社内の流れも「スローモーション」路線の「セカンド・ラブ」には否定的な声が出た。「『少女A』が売れているのに、この流れを止める理由はない」という営業担当者もいた。富岡氏は頭を抱えた。

 「流れは完全に『キャンセル』に傾いていました。ただ、私は誰が何と言おうとサードシングルは『セカンド・ラブ』で行くべきだと思っていました。もちろん『キャンセル』もシングルとしてまったく問題のない作品でしたが、歌唱力を前面に出したアイドルに育て上げたいというデビュー前からの路線から考えたら、絶対にあり得ないと思ったのです。とはいえ、私は宣伝担当で、選曲はディレクターの仕事です。流れが『キャンセル』になる中で、どれだけ訴えてもムードは変えられませんでした」

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