【YFM 夕刊フジMusic】ジミー桜井の限りなき戦い(上) ツェッペリンを追い続けて40年以上 ペイジの音はすべて風景の抽象画 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【YFM 夕刊フジMusic】ジミー桜井の限りなき戦い(上) ツェッペリンを追い続けて40年以上 ペイジの音はすべて風景の抽象画

 1人の日本人ミュージシャンが、世界のLED ZEPPELINファンを熱狂させている。ジミー桜井は40年以上、ジミー・ペイジを追いかけてきた。もしコロナが発生していなければ、今ごろはJBLZEで、ホワイトスネイクとの米ツアーに出ていただろう。注目のギタリストを直撃、3週にわたって連載する。

 1963年、新潟生まれのロック小僧がジミー・ペイジへの“愛”を貫き、今や全米で喝采を浴びている。中学生のときにキッスでロックに目覚め、高校生でレッド・ツェッペリンのとりこになって以降、ひたすらペイジを追い求めている。

 「昔はペイジが何でいいのかはわからなかったけど、ずっと抜け出せなかった。80年代に流行った高速ギターも、特に魅力は感じなかったです。なにか抽象的な、“ヘタウマ”はいい表現なのかもしれません。絵にたとえれば高速ギターのような超写実主義ではなく、ペイジのギターは近くでは分からなくても、遠くから見れば分かる抽象画のような。技術が素晴らしいだけではなく、すべてを風景として魅せる音を感じていました」

 とにかくペイジを弾きたい一心で、バンド活動を目的に東京に出てきたのは90年のこと。

 「当時、リマスター4枚組のボックスが売れて人気は再燃していましたが、ツェッペリンをやりたい人間なんかいなかった。それから時間はかかりましたが、93年だったか、用賀の小さなクラブでバンドを組んで演奏したらそれが楽しくて。94年からは福生で米兵を相手に受けまくりました。でも、コピー・バンドという名目だけではまずいかと、コーディネーターが仮につけたバンド名がMR・JIMMY。それが今でも続いています」

 ひたすら極める“ペイジ道”。平日は働きながらの週末ミュージシャンでも、追求の手は緩めなかった。

 「絶対あんなことはできないと思いつつ、人間の可能性として近づくことはできると。命がけでやるだけです。ペイジの音を目指すならまずギターはレス・ポールだし、アンプはマーシャル。ギターのピックアップ、アンプの真空管にもこだわってきました。他のトリビュート・バンドを見て思うのは、いくら演奏がうまくても、その機材は違うじゃないかって。それでは同じような音は出せないよって」

 そのこだわりが周囲の共感を呼び、運命を変えた。ライブハウスを中心にMR・JIMMYの名は高まり、海外からの目にも止まった。ついにはペイジ本人も姿を見せて…。

 ■ジミー桜井(さくらい) 1963年10月4日新潟県生まれ、56歳。LED ZEPPELINのジミー・ペイジにあこがれ、94年にトリビュート・バンド=MR・JIMMYの活動を開始。2014年にLED ZEPAGAINに請われて米に本格進出。17年からはMR・JIMMYと併行し、JBLZE(Jason Bonham’S Led Zeppelin Evening)に参加。世界中のZEPファンに愛されている。

 ■LED ZEPPELIN(レッド・ツェッペリン) ジミー・ペイジ(G)、ロバート・プラント(Vo)、ジョン・ポール・ジョーンズ(B)、ジョン・ボーナム(Ds)の4人で、1969年にアルバムデビュー。『天国への階段』が収録された71年の4作目「IV」で世界No.1のバンドとなった。80年にボーナムが急逝して解散。2007年にボーナムの息子ジェイソンを加えた4人で一夜限りの再結成を果たした。

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