【出門英さん没後30年 よみがえる愛の奇跡】めっきり減った仕事…救ったのは勝新太郎さん 厳しくしごかれ、俳優業開花 ヒデロザ復活後は司会や作曲も - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【出門英さん没後30年 よみがえる愛の奇跡】めっきり減った仕事…救ったのは勝新太郎さん 厳しくしごかれ、俳優業開花 ヒデロザ復活後は司会や作曲も

 勝新太郎さんは不倫問題や事故を起こしてどん底にいる俳優に救いの手を差し伸べる、人情家としても知られている。1975年2月の挙式後はロザンナが産休に入り、めっきり仕事が減って苦戦していた出門英(ヒデ)さんに、勝さんは『痛快! 河内山宗俊』(フジテレビ系、75年10月~76年3月放送)の出演をオファー。役は河内山の手下で、主役に次いで出番の多い片岡直次郎である。

 ドラマの初レギュラー出演、そして挿入歌『いつの日か人に語ろう』(詞・有馬三恵子、曲・中村泰士)を移籍したワーナーパイオニアから発売というオマケまで。すべて勝さんの計らいだ。ヒデさんは頬を何度もつねって喜んだという。ロザンナは出産の直前であった。

 その年の9月末、勝プロ番だった私は陣中見舞いがてら、撮影現場を訪ねた。休憩時間のヒデさんは勝さんと将棋に夢中だったが、声をかけてみた。

 「オーナー(勝さん)、ヒデさんの直次郎はどうですか?」

 「甘い顔がニヒルにも化けるし、面白いねぇ。特に丑松(火野正平)との絡みが絶妙」

 これなら若山富三郎、草笛光子、桃井かおり、原田芳雄といった個性派に囲まれていても、ヒデさんは大丈夫だった。

 「オーナーには救われました。厳しくしごかれて、芝居にも自信が持てるようになった」とヒデさんの目は輝いていた。

 もともと俳優からスタートしたヒデさん、遅咲きながら素質はバッチリ。これを機に俳優業も軌道に乗り、ヒデロザの復活後にはテレビの司会や作曲にも手を広げた。

 ヒデさんはデュオのアルバムに入れた『愛のお話』『港の女』(ともに70年)で作曲を手掛けているが、77年に小柳ルミ子に『星の砂』(詞・関口宏)、78年には森昌子に『彼岸花』(詞・阿久悠)を提供、2曲ともNHK紅白歌合戦で歌われている。

 今年6月に日本作詩家協会の会長に就任した石原信一さんは、83年に森昌子の『越冬つばめ』を書いているが、『彼岸花』について「森昌子さんが初めて大人の女を印象づけた、スケールの大きな名曲。越冬つばめの原点といえます」と懐かしみ、「大先輩のヒデさんは、一度は組んでみたかった作曲家でした」と惜しんだ。(中野信行)

 ■出門英(でもん・ひで) 本名・加藤秀男。1942年12月15日生まれ。東京都出身。62年に日活6期生ニューフェースに合格、同年『東京ロマンチックガイ』で歌手デビュー。68年5月にデュオ「ヒデとロザンナ」を結成、9月に出した『愛の奇跡』が大ヒット。75年2月に8歳下のロザンナと結婚、2男1女を授かった。ドラマ『痛快! 河内山宗俊』(75年、フジテレビ)など俳優でも活躍。90年に末期の結腸がんが発覚、6月17日に死去。47歳だった。

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