【ぴいぷる】メジャーデビュー35周年、中村美律子 待ってくれる人に届けたい、ときめきの歌 ぴいぷる
◆「うずうずしています」
「ほんまに、歌いたくて、歌いたくてうずうずしているんですよ」
今年、メジャーデビュー35周年を迎えた。気合は入っているが、いかんせん、コロナ禍で観客の前で歌う場がほとんどない状況だ。
「こんなに人前で歌えなくなるなんて、これまでありませんよ。こんな時代が来るなんて信じられへんわ」
昨年2月にシングルを出したところで、コロナ禍が直撃した。
「ポップな曲で好きだったんですよ。でもね、出してすぐにコロナ禍が広がって、あっという間に仕事がなくなりました。せっかく、ええ歌をいただいたのにお披露目できないし、知ってもらえないので売れませんし…。申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
35年という時間を振り返ると、「一口でいうたら、めっちゃ短かったです」。「嫌なこともあったと思うけど、時がたてば、そんなことあったっけと思うぐらい。ええことしか覚えてないから」
なのに、今は人前でなかなか歌えない。それだけに「歌」への思いは募るばかりだ。
「“歌”って、私自身を励ましてくれるものなんかな。家でひとりで歌っていても、なんも面白くないのよ。歌を待ってくれている人がいるかぎり、私は歌いたいわ」
そんな中、昨年11月、ようやく東京・新宿文化センターでコンサート開催にこぎつけた。
「今はギリギリでアウトになることも多いですから覚悟していたんですが、たとえ客席の半分しか観客を入れられないとしても、開催できてよかったですよ」
届くファンレターにはコンサートに行くつもりだったが、周囲が止めるので行けないといった悲痛な思いがつづられていることが少なくない。
「“行けなくてごめんね”と書かれているのをみると、歌えない私もつらいけど、コンサートに来ることのできないお客さまも、またつらいんやなと思いますよね」
◆挑戦「やめたらあかん」
そして、今年2月には35周年を記念するシングル『あんずの夕陽に染まる街~ニューバージョン』(キング)をリリース。“ニューバージョン”ということはセルフカバーなのか。
「2010年に出したシングルのカップリング曲やったんです。アレンジをまったく変えたので、新しい曲のような気持ちで歌えますね。私もこの歌が好きやし、同窓会を歌った曲って、あんまりないのと違う?」
同窓会で久しぶりに故郷に帰って感じる懐かしさや切なさを歌い上げる楽曲だ。
「キュンとする歌なのよ。ときめくって大事なんですよ。それが若さにつながると思うのよね。35年を振り返るという意味でも、この曲はええなと思うんです。私の曲って(歌うには)難しいって言われるんですが、この曲は歌いやすいと思います。この曲にはこぶしもないですし」
2017年に潰瘍性大腸炎を患ってからは、健康としっかり向き合うようになった。週2、3回はジムに通って体幹を鍛えている。
「足腰も強くなりましたよ。前は孫を抱っこできませんでしたが、最近は3歳の孫なら抱っこできるようになったもの。体重は15キロぐらいかな。えっ、ちょうどいい重さですねって? ちょっともう、孫はダンベルやないんやから(笑)」
以前は「120歳まで歌いたい」と公言していたが…。
「さすがに病気もしたし、それはもう無理かなあ(笑)。今は歌えるところまで、歌いますよって感じですね。でもね、食べたいものを食べて、体を鍛えていると、ここんとこ、声がよく出てると思うんですよ。残念ながら仕事がないからよく分からへんけど(笑)」
それでも挑戦する心は失いたくない。
「何かを始めようという気持ちはときめきますね。新しい歌謡浪曲を作りたいのですが、なかなか先が見えないからねえ。でも、やらないと始まらない。楽しくやれることを見つけないとダメよね。続けなあかんとは思わへんけど、やめたらあかんとは思うのよ」
快活な笑顔は、まだまだエネルギーに満ちあふれている。(ペン・福田哲士 カメラ・酒巻俊介)
■中村美律子(なかむら・みつこ) 歌手。1950年7月31日生まれ、70歳。大阪府出身。30歳過ぎから浪曲を始め、女流浪曲師の春野百合子に師事。86年に『恋の肥後つばき』でデビュー。『河内おとこ節』『島田のブンブン』や歌謡浪曲『瞼の母』などがヒット。92年、NHK紅白歌合戦に初出場。第41回日本有線大賞有線音楽優秀賞、日本レコード大賞最優秀歌唱賞(第39、50回)、日本作詩大賞(第25、40回)など受賞歴多数。2020年には文化庁長官表彰を受賞した。8月25日、東京・中野サンプラザホールで「デビュー35周年記念リサイタル」を開催予定。