【ぴいぷる】ムード歌謡一筋30年・黒木じゅん 祖父、父が倒れた55歳「この先の活動をやらなければ」 歌い継ぐ父親の夢 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【ぴいぷる】ムード歌謡一筋30年・黒木じゅん 祖父、父が倒れた55歳「この先の活動をやらなければ」 歌い継ぐ父親の夢 (1/2ページ)

 デビュー30周年という節目は、どうしても越えなくてはならないハードルだった。

 「父の黒木憲が55歳のとき、脳梗塞で倒れたのがデビュー30周年の年でした。そのまま父は芸能活動ができなくなり、30周年のイベントもできなかった。だから父の分も含めて新しいスタートなんです」

 この節目を記念するシングル『離れても』(テイチク)をリリース。作曲は、父のヒット曲『霧にむせぶ夜』を手がけた鈴木淳氏だ。ムード歌謡一筋に歌い続けてきただけに、どこか懐かしくも、新しいムード歌謡に仕上がった。

 「ムード歌謡というとテナーサックスのイメージですが、この曲はトランペットがフィーチャーされています。その部分では今までにない感じですが、テーマはオーソドックスな昭和歌謡。父のファンも、私のファンも納得していただけると思います」

 1991年、25歳でデビューするも「おかげさまで賞レースで13タイトルもいただいて、華々しいデビューでした。しかし2年目以降は、期待された分のプレッシャーも大きく、なかなかうまくいきませんでしたね」。

 この30年で芸名を3度変えている。最初の芸名は「唐木淳」。次が『黒木憲ジュニア』、そして今が『黒木じゅん』だ。

 「デビュー前、もともとは別の芸名が決まっていたんです。吉田正先生に曲を書いていただくということであいさつにうかがったところ、『その名前は固いな』といわれ、いっぺんにひっくり返りました。もうサインの練習もしていたんですけどね」と苦笑い。

 「吉田先生は、本名の『唐木』がいいと推され、下の名前は当時所属していた事務所の社長の名前をいただくことになったんです」と明かす。

 その後、父が他界したことで、父の名を継ぐことに。ただそのままではなく、“ジュニア”をつけることになった。

 「そのころはファンの方から『キン肉マン』のキャラクターをもじって“クロッケンジュニア”なんて呼ばれていました。関西のファンの方は“ケンジュニ”って呼ぶことが多かったですね」

 しかし50歳を迎えたときに「いつまでもジュニアでもないだろう」ということになり、「黒木じゅん」に。

 「“黒木憲シニア”って提案したら却下されました。今回の“じゅん”は父の恩師であり、私の師匠である鈴木先生の名前からいただいたんです。唐木時代からのファンからは呼び名が“じゅんちゃん”に戻ったと評判です」

 ヒット歌手だった父をみて育っただけに、幼いころは歌手になりたいと思うことはなかった。

 「地方に出たら1、2週間は帰ってこないでしょ。普通の家庭に憧れてましたよ。だから歌手という仕事がいけないんだと思っていました。父のことは好きでしたが、黒木憲は嫌いでした。黒木憲の息子かと聞かれたら否定してましたよ」

 それでも血は争えないものだ。歌は嫌いじゃなかった。母が営むカラオケ喫茶で、客のリクエストに応えるうち、歌手になりたいという思いが芽生えてきた。16、17歳のころだ。

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