【BOWWOW 45th HISTORY】ブリティッシュ・ロックの聖地で熱狂 成功を収めるも光浩が“脱退”を決意 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【BOWWOW 45th HISTORY】ブリティッシュ・ロックの聖地で熱狂 成功を収めるも光浩が“脱退”を決意

 1982年7月初めの香港ツーデイズが成功した僕らは、スイスの『モントルー・ジャズ・フェスティバル』(7月13日)に向かいます。ただスイスでの反応は良くなかった。その失敗が、次のビッグイベントで生きることになります。

 世界のハードロック・バンドが夢見るイギリスの『レディング・フェスティバル』。3日間開催の中日の8月28日(ヘッドライナーはアイアン・メイデン)に僕らは出演しました。ビートルズを日本に呼んだことで知られるプロモーター、タツ・ナガシマ(永島達司)さんにお願いして、前から2番目、30分のセットをねじ込んでもらいました。

 モントルーでウケなかった理由は選曲です。日本で人気の曲を演奏したのですが、国が違えば国民性も違うし、イベントそれぞれの特性もある。そのあたりの意識が薄かった。もっとギターに重きを置けば良かった…と、うなだれてレディングに向かったところ、マネージャーから、「徹底的に速い曲で攻めよう」という意見が上がりました。速い曲ばかりをリストアップして、あとは弾きまくるだけです。

 そこで、思いもよらないことが起こりました。ブリティッシュ・ロックの聖地で命がけの演奏をする僕らを聴き、最初は芝生の上で寝転んでソッポを向いていた観客が次第に正面を向き、立ち上がり始めたのです。僕が連獅子をかぶったら“ウォーッ”と総立ちです。

 最後はスタンディングオベーション。次のバンドが準備に入っても歓声はやまず、僕は主催者に「オーディエンスを鎮めてこい」と言われてステージに再び出て、1対5万人のコール&レスポンス。終演後の楽屋には、映画『ウッドストック』であこがれたテン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーが来てくれました。4人でハードロックをやろうと、強い意志を持ってやってきて良かったと思えた瞬間です。

 83年は全英ツアーを敢行。ハノイロックスの前座は1回だけで、あとは僕らがヘッドライナーでした。成功を収めて、さあ、世界でこれから-。

 しかし、終わりは突然訪れます。光浩が“脱退”を決めたのです。告げられたのは帰国してすぐだったか。仲がいい(石橋)凌に声をかけられた光浩が、前任のギタリストに代わってARBに入ることになったのです。11月21日の中野サンプラザが、光浩がいるBOWWOWのラストステージとなりました。

 ■BOWWOW ネム音楽院の生徒だった山本恭司(Gt&Vo)、DO.T.DOLLを解散した斉藤光浩(Gt&Vo)と新美俊宏(Ds)、山本が故郷松江でセッションした佐野賢二(Ba)のティーンエージャー4人で1975年に結成。76年に『吼えろ!BOWWOW』でデビューし、82年に英レディング・フェスに出演するなど海外でも活躍。83年に解散したが、別編成のVOW WOWの結成・解散を経て、98年にオリジナルメンバーで復活。2014年からは山本、斉藤のBOWWOW G2として活動。

 

■夕刊フジ・ロックフェスティバル 恵比寿ザ・ガーデンホール「BOWWOW45th Anniversary」9月26日(日)開催

https://www.diskgarage.com/artist/detail/no013087

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