【BOOK】吉本闇営業の謝罪会見で感じたこと、伝説の元広報が口を開いた 竹中功さん『吉本興業史』 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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吉本闇営業の謝罪会見で感じたこと、伝説の元広報が口を開いた 竹中功さん『吉本興業史』 (1/2ページ)

 昨年、世間を騒がせた吉本興業の「闇営業」問題。この騒動について沈黙を貫いてきたのが同社元専務の竹中功さん。1年の時を経て今、吉本愛に溢れる“伝説の広報マン”が口を開き、吉本興業の未来を占った。(文・高山和久 写真・渡辺照明)

 --本書が生まれた経緯は

 「吉本興業を退社して5年。昨年はお笑い芸人などが事務所を通さず直営業をするという闇営業騒動が起きコメントも求められたのですが、個人的な感想はしゃべりませんでした。あれはコンプライアンス違反。生々しすぎました。1年が過ぎ、雨上がり決死隊の宮迫(博之)くんは吉本に戻らず、ロンドンブーツ1号2号の田村亮くんは相方(田村淳)の事務所に入るなど、あの出来事はいったい何だったのだろうかと思いますね。編纂(へんさん)に関わった『吉本興業百五年史』を読み返し歴史をめくりながら包み隠さず騒動も検証しました」

 --逆に文章の間から吉本愛が伝わってきます

 「小学校1年ぐらいの頃から吉本新喜劇をみて大人になったわけでしょ。そしてホンマに吉本に入っちゃったわけですから愛溢れていますが、お笑い好きのそこらへんの大阪のおっちゃんと一緒だという気持ちですよ」

 --昨年の闇営業騒動での謝罪会見では何を感じましたか

 「タレント(宮迫、田村亮)の会見と、2日後の(岡本昭彦)社長の会見があったのですが、両方とも謝罪になっていないんですね。謝罪とは“誰が誰に何についてお詫びをするか”で、宮迫と亮の会見は誰に謝りたいかが設定できていなかった。泣きながら会社の悪口を言ってどうするのっていうところです。社長の会見も同様で、お詫びをする誰かが見えていなかった。あの会見はファンの皆さんや業界関係者に向けてタレントと一緒に謝らなければいけなかった。5時間20分に及ぶ会見になったのは、大事なことを言っていないからなんですよ。両会見とも『何について』というお詫びのルールに気づいていなかったんじゃないでしょうか。吉本がファミリー、家族というなら子供(タレント)の失敗は親(経営者側)が詫びなきゃアカンでしょ」

 --本ではそのことにも触れています。ところで吉本興業は創業108年です

 「この会社のカラーは『人を笑かすこと』が自然とお金儲けにつながるという考えが根底に流れて続けていることです。たとえば、漫才師はおもろいネタをつくって笑かす。マネジャーは芸人たちの芸を磨き日本一にしてやるといったような感じで、それぞれ役割があって“笑かす”という目的に向かっている。『人に喜んでもらう』『人を楽しくさせる』ということ。とくに吉本は笑いを売りにするのが原点なので、社長が変わろうが、地震が起きようが、戦争があっても吉本のその理念は変わらない。コロナ禍でも、『よしもとドライブインシアター』を始めたのもその一つです」

 --まさに100年企業、何をテコにしてきたのでしょう

 「ひとつは関東大震災。毛布や布団などの慰問品を東京に運んで関東の芸人たちとの関係を良好にしたこと。次は、吉本興業の創始者の一人、おせいさん(吉本せい)が大阪のシンボル、通天閣を買収したことでしょうか。戦時下の1943年に真下の映画館からの類焼で通天閣は解体。鉄くずは国に献納して専属タレントも(花菱)アチャコだけ。戦争ですべてを失いました。その後、ラジオからテレビの時代になって『うめだ花月』の公演をテレビ中継。これが『吉本新喜劇』の第一歩です。以後、テレビと並走したことが大きかったですね」

 --「漫才」を発案したのも吉本興業だと

 「民俗芸能の万歳が寄席芸能になって万才として生まれ変わった。それが(横山)エンタツとアチャコが三つ揃いを着てマイク1本の前でしゃべくりだけで勝負するスタイルにがらりと変えてしまったので漫才という字を使うようになりました。吉本のキラーコンテンツであり最高の発明品と呼ばれていますよ」

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