【ドクター和のニッポン臨終図巻】柔道家・古賀稔彦さん、平成の三四郎は優しい息子 母親には闘病を知らせず - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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柔道家・古賀稔彦さん、平成の三四郎は優しい息子 母親には闘病を知らせず

 オリンピックのテレビ観戦で僕が1番好きなシーンは、選手がメダルを取った瞬間よりも、選手のお母さん、お父さんの感無量の表情かもしれません。我が子を世界一にするために、どれほどの生活と、親子の時間を犠牲にしてきたのだろう。今すぐ、我が子を強く抱きしめたいことだろうと想像して、もらい泣き。

 そんな自慢の我が子が、もしも先に逝ってしまったら…この人の訃報に、胸が詰まりました。

 1992年のバルセロナ五輪で金、96年のアトランタ五輪で銀メダルに輝いた柔道家の古賀稔彦さんが、3月24日に神奈川県内の自宅で亡くなりました。享年53。死因は「がん」との発表ですが、どこのがんであったかは明かされていません。報道によれば昨年3月に、がんのため腎臓を片方摘出。その後、夏にも手術を受けていたとのこと。親しい仲間には、「俺、がんになっちゃったよ」と明るく手術跡を見せたりもしていたようですが、故郷・佐賀で暮らす母親の愛子さんには闘病を一切秘密にしていました。

 突然の息子の訃報を受けて、愛子さんは「心配させまいと隠していたのでしょう。気遣いを忘れない立派な息子だった」とテレビの取材に気丈に答えていました。

 翌日、このニュースを見た知人女性から僕に相談がありました。「私の夫は末期がんなのですが、古賀さんと同じように、実家の親には絶対に言うなと頑ななのです。でも、夫が亡くなった時、なぜ黙っていたのか、どうして会わせてくれなかったのかと責められるのは辛い。秘密にしておくのは、本当に親孝行ですか?」と。

 僕は「がんばって、秘密を守ってください」とお答えしました。夫の意思と、義理の両親の気持ちに板挟みになる奥さんは、さぞかしお辛いことでしょう。家族の関係性は百人百様ですから、立ち入ったことは言えません。

 だけど、一番に尊重すべきは、闘病中のご本人の言葉です。そして、「病気であることを誰に、どこまで知らせておきたいか」は、リビング・ウィル(生前の遺言)であり邪魔することはできません。

 親より子が先に逝ってしまう逆縁の看取りは、大変辛いものがあります。「代わってやりたい」とたいていの親御さんは慟哭します。

 もしも「どうしても最期に会わせてあげたい」と思うのなら、あと数日…となったところで報せることは、許されると思います。真実を知らせるか否かで悩むのは、優しい家族である証拠です。

 古賀さんは、中学1年の時に佐賀の親元を離れ上京されました。だからこそ「心配をかけたくない」という気持ちが人一倍あったのかも。誰より強かった平成の三四郎は、誰より優しい息子でしたね。

 ■長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。東京医大卒業後、大阪大第二内科入局。1995年、兵庫県尼崎市で長尾クリニックを開業。外来診療から在宅医療まで「人を診る」総合診療を目指す。この連載が『平成臨終図巻』として単行本化され、好評発売中。関西国際大学客員教授。

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