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【忘れない、立ち止まらない 東日本大震災から7年】「美談」を期待して話を聞こうとしていなかったか? 震災報道で改めて教えられた“初心”

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 3月11日が近づき、全国紙でも震災関連の報道が熱を帯び始めた。被災地の地域紙である小社(東海新報社)もご多分に漏れず、11日に発行する特集号の制作が佳境を迎えている。

 その一環で先日、地域出身のある若者を取材した。発災当時は10代。一度県外に出て勉強したうえでUターン就職したと聞き、アポイントを取り付けた。

 本人は津波でご家族を亡くしている。人の命にかかわる職業についたのは、そうした背景があってのことと聞いていた。進学、就職の経緯といった予備知識は持っていたので、「きっとこういう話が聞けるだろう」と想定し、どのページのどんな企画に組み込むかも決めてあった。

 本人は自身のことを少しも飾らず、率直に話してくれた。それは、私がなんとなく描いていたストーリーからは、だいぶかけ離れていた。

 普段、取材し記事を書くうえで、「相手の話を美談に“仕立て”ない」ということを己に課してきた。「感動的なシナリオ」ありきの取材姿勢によって意に沿わない報道がなされ、震災で傷ついた人たちがさらに傷つく姿を見てきたからだ。

 だがどうだろう。いま私は「美談」を期待して話を聞こうとしていなかったか。「鈴木さんの思っていたような内容でなくてすみません」。まだ年若い取材相手にそういわれたとき、思わず羞恥で赤くなった。

 相手は過去にいくつかの媒体から取材を受けてきたと話していたが、これまでも記者という職業の人間が、誘導尋問で“いいコメント”を引き出そうとしてくるのを感じ取っていたのだと思う。「すみません」などと言わせてしまった責任の一端は、私にもあるのだと苦い思いがした。

 ここで聞いた話をうまいこと切り張りすれば、おそらく自分が“思っていたような”記事にはできるのかもしれない。

 だが、それは絶対許してはならない禁じ手だ。たとえ読者は感動してくれたとしても、取材を受けた本人は書かれた内容が作為的なものだと気付き、ガッカリするだろう。

 普段何よりもおそれているのは、取材相手が掲載記事を読んだ際、「自分が話したことと違う」「こんな意図ではなかった」と感じてしまうことだ。それは信頼の失墜を意味し、読者との距離が近い地域紙にとっては自殺行為にも等しい。

 「こんな話では記事にならないのでは?」と尋ねられ、「なります。させてください」と答えた。“シナリオ”に合わせ、話の方を捻じ曲げることだけはしてはならない。ならば、企画の方を変えればいいのだ。

 相手が語ってくれたことを、虚飾なく忠実に再現する…記者が信用してもらう方法はそれしかないと思っている。特に、人の心を知らずに踏みつける可能性が高い震災報道にあたっては、忘れたくない初心だ。改めてそのことを教えられた、あれから7回目の3月である。

 ■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当する。

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