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沖縄は「日本文明」の一部を構成する地域

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 第二次世界大戦末期、米軍は本土上陸戦の拠点を確保するため、沖縄を攻略しようとした。日本軍はそれを阻止すべく、官・民と一体となって壮絶な戦闘を展開した。

 結果、米軍は本土上陸を断念したが、沖縄では人口の25%もの命が失われた。自決した海軍沖縄方面根拠地隊司令官、大田実中将が、海軍次官に最後に送った「沖縄県民斯(か)く戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」との電文を忘れてはならない。本土の平和は沖縄の犠牲の上に成り立っている。

 沖縄戦の犠牲とその後の米軍統治、さらに在日米軍基地の集中が「沖縄は本土から差別されている」との「構造的差別論」を誘発し、一部では「琉球民族が大和民族に支配された」として「琉球独立論」も台頭している。根拠のない考え方だが、沖縄や本土の一部で支持され、今回の沖縄県知事選(13日告示、30日投開票)でも、「オール沖縄」陣営を支える考え方にもなっている。

 沖縄は、本土と言語や文化、信仰を同じくする。「日本文明」の一部を構成する地域だ。

 沖縄学の確立者、伊波普猷(いは・ふゆう)が言うように、日本本土と琉球・沖縄は元を同じくする。血統上は10世紀までに九州南部の人々が沖縄に渡った、その子孫とされる。

 沖縄方言は、明治時代に英国人学者、B・H・チェンバレンが明らかにしたように、平安時代の古い日本語と考えられている。信仰は「八百万の神」が存在するとするアニミズムでもある。

 江戸時代の学者、新井白石は「沖縄」という漢字表現を初めて用いたが、沖縄とは「沖にある南の倭」と理解していた。南にある日本という意味だ。しかし、長らく本土との交流がなかったことから、独自に「琉球国」を形成してきた。

 沖縄戦もそうだが、沖縄の歴史を振り返るとき、世界の歴史の大きな転換期に常に本土を守るための最前線であったことが確認できる。

 疎遠だった本土と沖縄が歴史上交わるのは、徳川幕府発足から間もない1609年の薩摩藩の琉球侵攻だ。幕府も事前に了承していた。中国の明にも朝貢していた琉球は以後、薩摩藩の間接統治を受けることになる。

 現在から見れば暴力的な侵攻だったが、背景には、スペインやポルトガルの侵略から琉球を守る目的があった。フィリピンはすでにスペインの植民地になっていた。

 また、薩摩藩や徳川幕府の意図は、スペイン、ポルトガルが琉球を入り口にして本土に侵攻してくることを阻止することでもあった。明との交易の窓口として琉球は独立国の体裁を取ったが、実態として日本の一部となった。

 ■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院政治学研究科博士課程中退。専攻は憲法学、思想史、国家論、人権論。第2回正論新風賞受賞。高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学教授。教育再生実行会議委員、法制審議会民法(相続関係)部会委員、フジテレビジョン番組審議委員、日本教育再生機構理事長など。著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)、『公教育再生』(PHP研究所)など多数。

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