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9条あっても竹島奪われ… 拉致問題の解決よりも「平和憲法の神話」を守りたい護憲派の“偽善者”たち

 私の嫌いな日本語の1つに「平和主義」がある。もちろん、「平和が嫌い」という意味ではない。日本の学校教育やメディアでは、定義すら曖昧な「平和主義」という言葉が、あたかも絶対的正義のような前提で使われる。私はこの「偽善主義」的な風潮が嫌いなのだ。

 GHQ(連合国軍総司令部)が草案を作成した日本国憲法には、前文と第9条に「平和」という言葉が計5回使われている。だが、私は約40年前の法科大学院生時代から、今日に至るまで「平和」の明確な法的定義を聞いたことがない。

 なぜなら、「平和」という概念は、主観的かつ相対的なので、明確に定義付けることが困難なのだ。

 例えば、学校でもそう習うようだが、「戦後の日本は平和憲法のおかげで平和だ」と信じている日本人は多い。他国との武力紛争さえなければ「日本は平和」と考えるらしい。

 一方、北朝鮮の工作員に自宅近くで家族を拉致され、そのまま何十年も生き別れとなった拉致被害者とご家族であれば、「日本のどこが平和だ!」と叫びたいだろう。

 自称「平和主義者」と、憲法改正に反対する「護憲派」は、ほぼ一致する。安倍晋三政権下での憲法改正に反対する左派野党は、護憲派の代表格である。

 左派野党は、北朝鮮による拉致問題の解決で、なかなか結果を出せない日本政府を批判する。

 だが、日本に「軍事オプション」が存在しないせいで、政府が北朝鮮との交渉を能動的に行えない現実は無視している。護憲派の政治家が拉致問題の解決よりも、「平和憲法の神話」を守りたい偽善者に過ぎないことがよく分かる。

 「平和憲法の神話」はとっくの昔に崩壊している。憲法施行後の1952年、島根県・竹島が不法占拠された際、韓国は日本の漁船を機関銃で襲撃し、船員の身柄を拘束して多くの死傷者が出た。彼らは日本が「戦争をできない国」だから生じた犠牲者である。護憲派が信奉する「平和憲法」が、日本の平和を全く守らないことは、この事件で立証済みだ。

 そもそも、多くの日本人が「平和主義」として語る話は、「何が起きても戦争してはならない」という内容である。

 私がTBS系情報番組「サンデーモーニング」のレギュラーだった時代、イラク軍がクウェートを侵略した(1990年)。番組に出演した瀬戸内寂聴氏は「クウェート人は我慢すればいい」と言い放った。これは英語だと「パシフィズム(Pacifism)」であり、正しい和訳は「不戦主義」である。

 私が考える「平和主義」は、「平和を守るには、時として戦争もやむを得ない」というものだ。感情論ではなく、理性的な反論であれば大歓迎である。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『儒教に支配された中国人・韓国人の悲劇』(講談社+α新書)、『トランプ大統領が嗤う日本人の傾向と対策』(産経新聞出版)、『日本覚醒』(宝島社)など。

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