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身近で感じたシリア紛争の恐怖

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆様!

 シリアの紛争については、常に私たちはニュースなどでその惨状を伝え聞いていますが、私のようなロシアの普通の人々にとっては、決して遠い世界の話ではありません。

 これは私の身近にあったシリアに関する普通の人々のお話です。

 それは去年の夏のことでした。私の幼なじみ、今は同じくエカテリンブルグに住む親友、エレナからの電話を取った私は彼女の震える声を聞いて緊張が走ったのを、今でも覚えています。

 エレナは私に言いました。“私の兄がシリアに行くことになった”と。彼女の一番年上の兄は33歳、ロシア軍の将校でした。彼のシリア行きまでの猶予は3日間。荷造りをする彼の妻子や親戚らは危険な旅を想像し、心は沈んでいました。

 そして、彼は正確にいつ帰宅するかさえも言えずに、シリアの任地へと旅立って行きました。

 しばらくすると、シリアに着いたエレナの兄から連絡が来ました。シリアでも電話やインターネットは繋がったようで、彼女は私にその時の事も話してくれました。

 “久しぶりに兄の声を電話越しに聞いた時、私は涙が止まらなかったわ。兄はいつも会話中に私たち家族を和ませてくれたの”

 “でも、ある日の会話中に電話越しから恐ろしい砲撃の音が聞こえてきて、突然通話が途切れてしまったの。それからの数日間、彼から連絡がなかったので、私たち家族はパニックになりそうだったわ”

 さらに数日が経ち、彼が再び電話して来た時のエレナや家族の歓喜を想像できますか?

 最終的にエレナの兄は6カ月間でシリアからロシアに戻って来ました。その後、エレナの兄と再会する機会を得た私は、彼にシリアでの体験と実際の状況について、何でもいいから教えてもらえるように頼みました。

 しかし彼は頑として話す事を拒否したのでした。

 そして、私とエレナに静かにこう言いました。

 “それを君達が知るべき事ではない。君達には静かな人生を送ってもらいたいからね”

 シリアから帰還後の彼女の兄や家族との関係にも変化があったようで、それは以前にも増して、家族同士が思いやりを持てるようになったとの事です。

 このお話は、最終的には良い結末で終わりましたが、もうひとつのお話は、悲しい結果を招いてしまいました。

 続きは次回に…。

 では、ダフストレーチ(また会いましょう)!

■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルグの医科大を経て、現在は大学院で眼科学を専攻する傍ら、日本人コンポーザーTAMAKIと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット“Crystal Mint”を結成。シンガーとして、主にヨーロッパで活動中。特技は英語、腕立て伏せ。(crystalmint.info)

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