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リハビリ兵士が語った人生と悲劇

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆様!

 私が暮らす都市、エカテリンブルクの1月は一年で最も寒い月です。ウラル山脈から吹いてくる冷たい風が都市部に降りてきますので、この時期の日中の平均気温はマイナス15℃、夜間はマイナス25℃まで下がることも多いです。

 そんな極寒の朝の通勤ラッシュ時のバス停では、ちょっとしたパニックのように、皆が我先にとバスに乗り込もうとします。

 先日の朝、いつものようにやっと乗り込んだバスの中で一息ついた私が、ふと通路を挟んだ座席を見ると、杖を持って静かに座っている男性の横顔が見えました。

 その時、私はとっさに心の中で叫んでいました。“アンドレイ! あなたはバスに乗れるまで体が回復したのね!”

 その男性は、私が医療研修中の一時期に、リハビリの手伝いをしていた患者でした。

 アンドレイと初めて会ったのは、2年前の冬の病院でした。当時、理学療法室で研修中の私は、ある朝、人懐こい笑顔の新しい男性患者を紹介されました。

 車いすに座っている、その男性の鍛え抜かれた形跡のある上半身を見た時に、私は、“この人は軍人だ”と一目で認識できました。そして、目の前にいる軍人アンドレイが痛みに勝つために、ずっとリハビリに努力してきたことも想像できました。

 アンドレイのリハビリを手伝う日々の中で、彼は今までの人生と自分の身に起こった悲劇について私に語ってくれました。

 その時点で29歳だったアンドレイの人生は困難の連続でした。

 アンドレイの父親は、まだ彼が小さいころに亡くなってしまったそうで、アンドレイは若い頃からアルバイトをして母親や弟を助けながら、人一倍勉強をして奨学金制度で大学に入学したそうです。

 在学中は勉学に、放課後はアルバイトとスポーツ活動に邁進し、さらに学内で美しい将来の伴侶にも出会えたアンドレイは、大学卒業と同時にその女性と結婚しました。

 そして、軍事大学卒業ではないアンドレイは、一介の兵士として軍隊に入隊しました。それは愛国心を持つアンドレイの夢でもあり、昨今のロシアでは安定した職業でもあります。

 軍隊の中でアンドレイは順調にキャリアをこなして行き、数年経つと、兵士から有能なロシア軍士官の一人になりつつありました。

 ある事故が彼の人生を永遠に変えるまでは…。

 この続きは次回に-。

 では、ダフストレーチ(また会いましょう)!

■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルグの医科大を経て、現在は大学院で眼科学を専攻する傍ら、日本人コンポーザーTAMAKIと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット“Crystal Mint”を結成。シンガーとして、主にヨーロッパで活動中。特技は英語、腕立て伏せ。(crystalmint.info)

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