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平成は「社会主義」終焉の時代 “革命は遠くなりにけり”

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 平成が間もなく終わろうとしているが、この時代は「世界の大激動」の中で始まった。資本主義陣営と社会主義陣営による、東西冷戦の象徴でもあった「ベルリンの壁」が崩壊したのが、平成元(1989)年11月であった。

 この年は、ソ連によって政治、経済、社会体制が押しつけられてきた東欧社会主義国のすべてで民衆が蜂起し、その崩壊が始まった年であった。

 激動は、まずポーランドで始まった。ソ連言いなりの統一労働者党に代って、独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。東ドイツでは、社会主義統一党書記長だったエーリッヒ・ホーネッカーが辞職に追い込まれ、「党の指導性」規定が憲法から削除された。

 日本共産党と親密な関係にあったルーマニアの初代大統領、ニコラエ・チャウシェスクは、公開処刑で銃殺にされた。

 91年8月には、ついに親玉のソ連共産党が解体し、ソ連邦も崩壊していった。社会主義世界体制の敗北・崩壊であった。

 この事態を受けた日本共産党は、“ソ連などは社会主義ではなかった。だから社会主義の失敗でも、敗北でもない”と弁明している。だが、こんな弁明は通用しない。

 私が18歳で日本共産党に入党した際、先輩党員から手渡された勧誘本には、次のようなことが書かれていた。

 「今世界の半分近くの人びとが社会主義の下で暮らしている。世界は音を立てて資本主義から社会主義へと変わりつつある。これこそが人類進歩の方向である。この速度を速めるのが君たち若者なのだ。君たちこそが社会を発展させる主役なのだ」

 その証明がソ連であり、東欧の社会主義国の存在であることを、日本共産党自身がどれほど強調してきたことか。

 マルクス主義の最も重要な命題は、「資本主義から社会主義への移行は歴史的必然」だとするところにある。それを説いたカール・マルクスと、フリードリヒ・エンゲルスの共著『共産党宣言』が書かれたのは、1848年のことである。それからすでに171年が経過した。それでも、この地球上に、社会主義国が1つも存在していないというのが日本共産党の弁明なのである。

 この弁明は、地球上のどこでも「歴史的必然」論は証明されていないということを認めるだけではなく、事実上、この大命題の誤りをも認めることなのである。眼前で繰り広げられているのは、社会主義から資本主義への移行であり、この方が必然的に見えるのである。“革命は遠くなりにけり”が平成時代の結論である。

 ■筆坂秀世(ふでさか・ひでよ) 1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で銀行を退職し、専従活動家となる。議員秘書を経て、1995年に参院議員に初当選。共産党のナンバー4の政策委員長を務める。2003年に議員辞職し、05年に離党。評論・言論活動に入る。著書に『日本共産党と中韓』(ワニブックスPLUS新書)、『野党という病い』(イースト新書)など。

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