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平成の時代…群雄割拠から“羽生時代”へ 頂点に一人が立つ構図が現れたのだが…

★平成の将棋界(1)

 もうすぐ平成が終わる。そこで将棋界にとって、平成はどういう時代だったのかを2回にわたって、振り返ってみたいと思う。

 昭和の時代は、常に一人の棋士が頂点に立ち、他の棋士が王者を目標にして挑む、という構図があった。戦前から戦後は無敵の木村義雄14世名人が。その後は木村に「よき後継者を得た」と言わせた大山康晴15世名人の時代が20年以上続いた。

 その大山を破って名人に就いた中原誠16世名人が、絶対王者となって昭和の後半から平成の時代に突入したのだった。

 ちなみに名人位は、大山が18期、中原が15期保持している。その間にも升田幸三実力制第四代名人や、谷川浩司17世名人資格者などが君臨した時代もあったが、それらはすべて一人の孤軍奮闘であった。

 ところが平成に入る少し前から、同世代の棋士が複数で前の世代を倒しに行くという構図が現れた。その先駆けは、1983年(昭和58年)に王位のタイトルを獲得した、高橋道雄九段である。昭和55年前後に四段になった世代(55年組と呼ばれた)は、彼がタイトルに届くなら自分もとそれ以降、中村修九段が王将を、南芳一九段が棋聖を、塚田泰明九段が王座、そして平成に入る直前、島朗九段が竜王にと、世代で先輩を破っていったのである。

 もっともこの平成の始まりの時期は、中原と谷川もタイトルを複数持ち、2人で名人位を分け合っていたし、米長邦雄永世棋聖も健在。49歳で名人になるのは、この後だ。

 谷間のまた谷間である私の世代も、福崎文吾九段がタイトル2期、田中寅彦九段が1期(私は挑戦者1期のみ)と、いわゆる今と違う意味での群雄割拠の時代で、平成は始まった。

 しかしそこに出てきたのが、羽生善治九段だった。平成元年(1989年)に島から竜王位を奪取すると、以後はタイトル戦の常連となり、先輩から次々とタイトルを奪っていったのである。

 そしてついに平成8年2月(1995年度)、谷川王将(当時)を破って、棋界初の七冠全冠制覇を成し遂げたのだった。

 この時は昭和と同じく、頂点に一人が立つ構図が現れたのだが…。

 ■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。

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