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【語り継ぎたい天皇の和歌】命を懸け民衆の救済求める

 「平成」から「令和」へと移る際、注目された天皇陛下がいらっしゃいました。それが第119代の光格天皇です。上皇となられた平成の天皇が202年ぶりの譲位を決断されたということで、その前に譲位をなされていた光格天皇が注目されたのでした。けれども、真に語られるべきなのは光格天皇が譲位をされたことではなく、ご在位中に実践された尊い治績なのではないでしょうか。

 光格天皇の御代だった1787年、日本は「天明の大飢饉」と呼ばれる全国的な恐慌に見舞われていました。餓死者も多く出る事態に立ち上がられたのが光格天皇だったのです。「禁中並公家(きんちゅうならびにくげ)諸法度」が存在し、朝廷が幕府の政治に口を出すことなどあり得なかった時代のことでした。

 学問に熱心で博学だった光格天皇は、長く途絶えていた朝議の再興に力を尽くし、近代天皇制に移行するための礎を築かれたかたでした。光格天皇は古代朝廷で毎年5月に全国の貧窮民に米や塩を賜った「賑給(しんごう)」という儀式があることを思い出されました。これを、今この時代に復活させ、救い米を出せたら少しでも役に立つのではないかとお考えになられたのです。

 そして、掲出歌と「民草に露の情(なさけ)をかけよかし代々の守りの国の司は」という和歌を将軍徳川家斉に贈られたのでした。「代々の国を護る役目を担う者はどうか民衆に思いを巡らせてほしい」という歌意。和歌を通じて、民衆の救済を幕府に求められたのです。光格天皇はご法度違反による自身への厳罰も覚悟されていました。

 掲出歌は、「身のかひは何を祈らず朝な夕な民安かれと思ふばかりぞ」(己のことは何も祈ることがない。ただ朝に夕に民が安らかに暮らせることを願うばかりだ)とも語り継がれる一首です。この時の民衆の感謝の気持ちが後の明治維新にもつながったと語る歴史学者たちもいます。

 「令和」の時代に思いおこしたいのは、202年前に譲位をされた光格天皇の命懸けの和歌と実践なのではないでしょうか。古代の天皇が貧窮民に米や塩を賜られた賑給という儀式のあった5月に思いをはせたい御製(天皇の和歌)です。(田中章義)

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