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ナチス・ドイツに占領された祖父の村

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆様!

 新元号、令和おめでとうございます!

 こちらロシアでは、先だっての5月9日はナチス・ドイツ戦勝記念日という祝日でした。この日はロシア各地でパレードが行われ、ドイツと戦った人々の遺族がプラカードを持って行進します。

 現在のロシアを含む旧ソビエト連邦の人々の祖先をたどっていくと、ほとんどの人の親戚の誰かはナチス・ドイツとの戦争で亡くなっている、と言っても過言ではありません。当時のソビエト連邦各地が激しい戦場となり、2000万人以上の多大な犠牲の上に勝利した第二次世界大戦中のこの戦争を、私たちロシア人は“大祖国戦争”と呼んでいます。

 それは当時のスターリン・ソビエトとヒトラー・ドイツとの間の凄惨な戦いでした。

 今回は、その時代を生きた人々の一人である、私の祖父のお話です。

 私の祖父エフゲニー・コレズネフは、1927年に現在のベラルーシ共和国の南東部に位置する、ゴメリ市に近い村で生まれました。

 祖父が14歳になった1941年6月、突如ドイツ軍がソ連の領土に侵攻してきました。

 不意を突かれたソビエト軍は緒戦で大きな損失を出し退却を重ねていき、戦闘に参加していた祖父の父親も、開戦数日後の戦いで亡くなりました…。

 その2カ月後、遂にゴメリと祖父の村もドイツ軍に占領されたのです。

 占領地に入ってきたドイツ軍兵士は、初めは地元の人々に非友好的ではなく、子供たちにお菓子をあげる兵士もいたそうです。

 しかし、その後にやってきたナチス警察の隊員たちは冷酷でした。

 ナチス警察は、村にいた少年や若い男性を次々と捕らえて、彼らを本国での労働力として使う為にドイツ行きの列車に乗せ始めました。

 そこで、祖父と従兄弟も捕まってしまい、他の若者たちと一緒にドイツ行きの貨車に閉じ込められてしまったのです。

 しかし、脱走の機会を窺っていた祖父と従兄弟は、貨車の木の壁のネジが緩んでいる箇所を見つけると、壁の一部を剥がして隙間を作り、そこから貨車の外に飛びだして、森の方へ必死に走りました。

 すぐに彼らの脱走に気づいたナチス警察は、警笛と共に、逃げる祖父たち少年に容赦なく発砲し続けました。

 その過程で一緒に逃げた従兄弟は射殺されてしまいました…。

 一方、何とか逃げきることができた祖父は、さらに森の奥深くまで走り続けている途中で誰かのささやく声を聞き、立ち止まりました。

 この続きは次回に…。

 ■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルクの医科大を経て、現在は大学院で眼科学を専攻する傍ら、日本人コンポーザーTAMAKIと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット“Crystal Mint”を結成。シンガーとして、主にヨーロッパで活動中。特技は英語、腕立て伏せ。

Instagram : https://www.instagram.com/crystalmintmusic/

Website : https://crystalmint.info/

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